はじめに
今回の記事は、「せかはん(世界の反省)|歴史から学ぶ失敗学」シリーズです。
「世界の歴史は、失敗の歴史である」
なぜ、私たちは過去や現在のニュースをわざわざ追いかけ、そこから何かを学ぼうとするのでしょうか。
それは、成功には再現性がない一方で、失敗には驚くほどの再現性があるからです。
時代が変わり、技術が進歩し、社会制度が洗練されても、
組織や国家、そして私たち個人がつまずくパターンは、ほとんど変わりません。
権力を過信する。
正しさを信じすぎる。
仕組みの変化を甘く見る。
相手を説得できると錯覚する。
こうした「失敗の型」は、何百年、時には何千年という単位で繰り返されてきました。
本シリーズでは、日々流れていくニュースを単なる「他人事」として消費するのではなく、
歴史上の出来事や、偉人・国家・組織が犯した失敗と照らし合わせることで、その本質を解き明かしていきます。
そして、そこで得られた教訓を、
私たち一人ひとりの悩み
お金、仕事、人間関係、そして「どう生きれば消耗せずに済むのか」という問いへと繋げていく。
それが「せかはん失敗学」の目的です。
今、日本で起きている「説明のつかない違和感」
同じニュースを見ているのに、話が通じない
この視点を踏まえたうえで、まずはごく身近な違和感から話を始めたいと思います。
最近、ニュースを見ていて、あるいは家族や友人と社会の話をしていて、
こんな感覚を覚えたことはないでしょうか。
テレビを見ている親と話が噛み合わない。
ネットを見ている自分と、同僚とで、まるで住んでいる世界が違う気がする。
同じ出来事を見ているはずなのに、
片方は怒り、片方は納得し、
片方は歓喜し、片方は絶望する。
同じ日本語を話しているのに、見ている「事実」がまるで違う。

2024年兵庫県知事選や、森友学園問題など、政治・行政を巡る一連の騒動をきっかけに、
この感覚をはっきり自覚した人も多いはずです。
このとき、多くの人はこう考えます。
「相手は洗脳されているのではないか」
「どちらかが間違っているのではないか」
「もう話が通じないのではないか」
しかし、本当にそうなのでしょうか。
ここから先、本記事では、
この「説明のつかない社会の分断」を、
感情論でも、善悪論でもなく、歴史的な失敗のパターンとして解きほぐしていきます。
実は、今私たちが直面している状況は、
500年前、人類が一度経験している「大失敗」と、驚くほどよく似ているのです。
それが、宗教改革と活版印刷が引き起こした、30年戦争という地獄でした。
16世紀に起きた最初のメディア革命
宗教改革は「情報の民主化」では終わらなかった
16世紀以前のヨーロッパでは、情報の構造は極めて単純でした。
真理の中心には聖書がありました。
しかし、それはラテン語で書かれており、一般の人々には読めません。
読めるのは、聖職者と一部の知識層だけです。
つまり、真理へのアクセスは、カトリック教会という巨大組織が独占していました。
教会が黒と言えば黒。
教会が正しいと言えば正しい。
情報のゲートキーパーが、社会の現実そのものを定義していたのです。
そこに登場したのが、活版印刷でした。
文字は大量に複製できるようになり、情報は一気に拡散可能になりました。
そして、ルターが現れます。
「教会は腐敗している。」
「免罪符を売り、嘘をついている。」
「真実は聖書に書いてある。自分で読め。」
この瞬間、情報の独占構造は崩れました。
この構図は、現代と驚くほど似ています。

- カトリック教会 = オールドメディア
- ルターと活版印刷 = ネットとインフルエンサー
告発文、風刺画、相手陣営の悪口を書いたビラが大量に出回り、人々は二つの陣営に分かれていきました。
多くの人は、ここでこう期待します。
情報が民主化され、人々は賢くなり、社会は理性的になったのだろう、と。
しかし、歴史はまったく違う結末を用意していました。
情報の民主化がもたらしたのは、理性ではなく「30年戦争」という地獄でした。
宗派の違いは国家の利害と結びつき、戦争は長期化し、社会は荒廃しました。
人々は正義を信じるほど、相手を人間だと思えなくなっていきます。
今、SNSのコメント欄やリプ欄で起きていることは、この宗教戦争の現代版に見えます。
これは情報の違いではありません。
信仰の違いです。
なぜ「怒り」ばかりが拡散されるのか
私たちは「無給の印刷工」にされている
現代のSNSには、はっきりした傾向があります。
怒り、罵倒、炎上、切り取り。
そうした投稿ほど、よく拡散されます。
これは偶然ではありません。
SNSのアルゴリズムは、思想ではなくビジネスによって設計されています。
目的は、ユーザーを長く滞在させ、広告収益を最大化することです。
その目的に最も適している感情が、怒りです。
ここで「インプレゾンビ」と呼ばれる現象が生まれます。
彼らは悪意ある怪物ではありません。
インプレゾンビは、システムに最も適応した「合理的プレイヤー」に過ぎません。
ここで再び、16世紀に戻りましょう。
当時、最も利益を得たのは誰だったでしょうか。
改革者でも神学者でもありません。
印刷業者です。
彼らは気づいてしまいました。
分厚くて難しい聖書よりも、安く作れて刺激的な誹謗中傷ビラの方が、圧倒的に売れるという事実に。
結果として、彼らは両方を刷りました。
プロテスタントの怒りも、カトリックの怒りも、どちらも商品でした。
現代のSNSも同じです。
右派の怒りも、左派の怒りも、同じ広告商品です。
そして私たちが正義感で殴り合うたび、
対立は可視化され、滞在時間は伸び、
プラットフォームは利益を得ます。
私たちは正義のために戦っているつもりで、実際には「無給の印刷工」にされているのです。

技術は魔女狩りも拡散する
正義の棍棒を持った凡人が最も残酷になる
活版印刷の時代、よく売れた本の一つに『魔女に与える鉄槌』があります。
魔女狩りの恐ろしさは、それが権力者だけの暴走ではなかった点にあります。
多くの場合、発端は隣人の密告でした。
嫉妬、私怨、不満。
それらが「正義」という衣をまとった瞬間、人は残酷になれます。
現代のキャンセルカルチャーにも、同じ構造があります。
過去の発言を掘り返し、切り取り、吊るし上げる。
その動機は、本当に純粋な正義だけでしょうか。
誰もが被害者になり得ます。
同時に、誰もが加害者にもなり得ます。

ここまでで、
分断がなぜ起き、なぜ拡大し、なぜ終わらないのかという「構造」は見えてきました。
しかし、構造がわかっただけでは、日々のモヤモヤは晴れません。
ここから先は「理解」ではなく「生存戦略」です
読者の皆様が本当に知りたいのは、ここから先の話でしょう。
「では、この地獄のような社会で、私はどう生きればいいのか?」
「家族との対立、職場の空気、友人関係……このギスギスの中で、どう正気を保てばいいのか?」
ここから先は、
「世界をどう理解するか(教養)」ではなく、
「自分の人生をどう守るか(戦略)」の話になります。
歴史の事例、特に30年戦争の「終わり方」を手がかりに、
戦わずして自分の領域を守るための具体的な技術を提示します。
- なぜ、相手を論破しようとすると必ず泥沼にはまるのか
- 歴史が導き出した唯一の解決策「ウェストファリア条約」とは何だったのか
- ミュートやブロックが「逃げ」ではなく「平和条約」である理由
- 分断社会を生き抜くための「デジタル傭兵マインド」
分断に疲れた人、無駄な戦いで消耗したくない人に向けた、
心の安全保障の話です。
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参考リンク
BBC 社会ネットワークで変化した世界 / NETWORLD – 日本外語協会