【書評×海外の反応】『社会はなぜ左と右にわかれるのか』で考える「中道改革連合」 中道は本当に中立なのか


はじめに

2026年1月。 自民党と長年連立を組んできた公明党が袂を分かち、立憲民主党を中心とする勢力と合流する形で、新党「中道改革連合」が発足しました。日本政治における大きな再編の一つです。

このニュースに触れたとき、私の中にまず浮かんだのは期待や失望ではなく、ある種の「引っかかり」でした。 それは政策内容そのものではなく、彼らが自らのアイデンティティとして「中道」という言葉を選んだ点です。

私はこれまで、このブログで「右にも左にも寄りすぎない視点」を意識してきました。いわば、私自身も「中道」を自認してきた側の人間です。 だからこそ、これは他人事ではありません。

「中道」を名乗るとは、いったい何を意味しているのでしょうか。

右と左が相対的な位置関係である以上、その間にある中道もまた、固定された場所ではありません。周囲の立ち位置が変われば、自然と動いてしまう座標です。 それにもかかわらず、「中道」をあたかも普遍的で中立的な立場であるかのように扱ってしまうのはなぜなのか。

この問いを考えるうえで、非常に示唆に富む一冊があります。 社会心理学者ジョナサン・ハイトによる『社会はなぜ左と右にわかれるのか(原題:The Righteous Mind)』です。

この本は、政治思想の是非を論じる本ではありません。
人間が「正義」や「正しさ」をどのように感じ、どのように確信してしまうのかを解き明かす、道徳心理学の本です。


この本は何を明らかにしたのか

ハイトが立てた問いは、シンプルでありながら根深いものです。
「なぜ、善良で誠実な人同士が、政治や宗教の話になると、これほどまでに分かり合えなくなるのか」

彼が示した答えの一つが、有名な「象と象使い」の比喩です。
人の心には、直感的で感情的な部分と、論理的で言語的な部分があります。ハイトは前者を「象」、後者を「象使い」と呼びます。

私たちはつい、「理性で考え、感情がそれに従う」と思いがちです。
しかし実際には、まず「象(直感)」が方向を決め、「象使い(理性)」は後から理由を考えている場合が多い。理性は判断の主役というより、事後的な説明役に近い、というのがハイトの主張です。

この前提に立つと、政治的議論の見え方が大きく変わります。


道徳基盤理論とは何か

本書の中核をなすのが、道徳基盤理論(Moral Foundations Theory)です。 これは「人がなぜ『正しい』『許せない』と感じるのか」を、個人の思想ではなく進化的に形成された直感のセンサーとして整理した理論です。

ハイトは、人間の道徳判断を「味覚」に例えます。 甘味や苦味の感じ方に個人差があるように、道徳にも反応しやすいポイントの違いがあるという考え方です。代表的には、以下の6つが挙げられます。

  1. ケア/害(Care/Harm):苦しんでいる人を助けたい、弱者を守りたいという直感
  2. 公正/不正(Fairness/Cheating):ズルは許せない、対等であるべきだという感覚
  3. 自由/抑圧(Liberty/Oppression):支配されることへの嫌悪、強制への反発
  4. 忠誠/裏切り(Loyalty/Betrayal):仲間を守る、共同体を裏切らないという感覚
  5. 権威/転覆(Authority/Subversion):秩序や役割、上下関係を重んじる直感
  6. 神聖/堕落(Sanctity/Degradation):汚れや冒涜への嫌悪、清らかさを守ろうとする感覚

ハイトの整理では、リベラルは「ケア・公正・自由」に強く反応しやすく、保守は6つすべてに比較的反応するとされます。 この違いが、同じ出来事を見ても評価が真逆になる原因だ、というのが理論の骨子です。

重要なのは、ここで語られているのが「正しさ」ではなく「感度」だという点です。どの味覚が優れているかではなく、どの味を強く感じるように進化してきたかの話にすぎません。


理論が生む「強力さ」と「危うさ」

道徳基盤理論の強みは、政治的対立を「無知 vs 知性」や「善人 vs 悪人」といった道徳的優劣の物語から引き剥がした点にあります。 しかし同時に、この理論は強力すぎるがゆえの単純化も含んでいます。

とくに引っかかりやすいのが、「リベラルは忠誠・権威・神聖を重視しない」という説明です。 多くの読者がここで違和感を覚えます。なぜなら、リベラルもまた――

  • 仲間内での忠誠を強く求め
  • ある種の権威(専門性・倫理性)を尊重し
  • 「許されない価値観」や「触れてはいけない聖域」を持っている

からです。違うのは、「何を基準にヒエラルキーを作るか」だけです。


「中道」を見ると、何が起きるか

ここで、「中道」という立場をこの理論に当てはめると、非常に示唆的なことが見えてきます。 中道を自称する人は、しばしばこう語ります。

  • 極端な左右には与しない
  • 感情的にならず、バランスを取る
  • 誰かを一方的に悪と決めつけない

一見すると、これはバイアスから自由な立場のように見えます。 しかし道徳基盤理論の視点に立てば、これは「バランス」「穏健」「調整」を最上位の価値として強く感じる直感にすぎません。

つまり中道もまた、特定の道徳的味覚に強く反応する一つの部族であり、無色透明な観測者ではないのです。 この点を理解しないまま「私は中道だから偏っていない」と考え始めた瞬間、人はハイトの言う「素朴実在論(Naïve Realism)」に最も深く沈み込みます。

海外の反応

ここから紹介するのは、Reddit上で交わされた『社会はなぜ左と右にわかれるのか』に関する読者の反応です。

重要なのは、これらが「称賛」か「否定」のどちらかに分類できない点です。 むしろ多くは、理解したと思った瞬間に、別の違和感が生まれるという読書体験そのものを語っています。

この本が優れているのは、読者に「正解」を与えないことです。代わりに、自分の中にある判断基準そのものを疑わせる。以下の反応は、そのプロセスがそのまま言語化されたものだと考えると、非常に読み応えがあります。

以下はスレッド内のユーザーコメントの抜粋・翻訳です。


山を馬で夜越えしてるみたいな気分。2ページごとに腹が立って反論し始めちゃうから、読むのに何週間もかかる本は良い本だ。


ニーチェの『道徳の系譜』を思い出した。共感できる概念だ。魂は野生を失うべきじゃない。停滞した絶対に落ち着いてはいけない。


この本大好き。今の時代の部族主義とか「俺たち vs あいつら」の構図を見る上でも、すごく目が開かれた。
今でもよく考えるのは、ハイトが示す「道徳の味」の違いで、集団ごとに優先する価値が違うという話。例えば保守は忠誠や比例性を重視しやすく、リベラルは公正やケアを重視しがち、みたいに。
ここまで明快な枠組みに落とし込む能力のおかげで、同じ問題を見ても人が全然違うレンズで見てしまう理由や、どの価値を手がかりにしているのかを立ち止まって考えられるようになった。


そこが引っかかる。
「保守はヒエラルキーと忠誠を信じる。リベラルは信じない」
いや、5秒考えたら分かるけど、それはデタラメだ。
リベラルだってヒエラルキーを信じてる。ただし保守が嫌う種類のヒエラルキーだ。
MLK(キング牧師)は「誰も判断するな」と言ったんじゃない。「肌の色じゃなく人格で判断しろ」と言った。
はっきり言うと、リベラルのヒエラルキーは「人格の良い人が社会を運営するべき」というものだ。人格が悪い人は、抑圧される下層階級になる。
それもヒエラルキーだ。
リベラルは優柔不断なヒッピーで、みんな平等で誰も傷つくべきじゃない、みたいな描き方は藁人形論法だ。
リベラルも差別する。忠誠もある。純潔もある。判断する。しかも容赦ない。
ただし人種や性別や宗教ではなく、人格で判断する。医者の人種や性別や宗教は気にしないが、教育を受けているか、善良かどうかは気にする。
言ってしまえば、リベラルは「共感至上主義者」なんだ。


読んでみるといいよ。本ではそういうニュアンスや矛盾も扱っていて、どこが当たっていてどこが当たっていないかが整理される。しかも「良い人」とされることや、部族の中でそう評価されることが、決して単純な話じゃないって、恐ろしいほど分かると思う。


「良い人」が部族の中で定義されるのは分かってる。
ただ、リベラルと保守の見方が妙に還元的なのが嫌なんだ。かわいい哲学的な陰陽みたいに両方を描こうとしてる感じがする。
だってリベラルも「忠誠・権威・聖性」を強く重視する。
でも彼の枠組みだと、その価値は伝統的な人間カテゴリに基づいてないから軽く扱われる。むしろ私たちが当然視してる共感や人格に基づいてるだけ。
私の言い方なら、リベラルは「共感至上主義者」だ。
リベラルは共感的な人間が権力を持つべきだと思い、共感性のない人間は周縁化し抑圧されるべきだと思う。苦痛を減らしたいんじゃなく、共感に基づいて苦痛を配分したいんだ。
それが彼らの維持したいヒエラルキーで、彼らはそれを疑っていない。


たぶん君の言ってることに近づいてるけど、それでも無理にハイトのモデルに当てはめようとしてると思う。
共感は内集団への忠誠とは違う。
むしろ逆で、内集団への忠誠を維持するには、外集団への共感を抑える必要がある、とすら思う。
ただそれはまた別の話。
私が言いたいのは、道徳基盤モデルの限界だ。彼はリベラルと保守を、RPGの職業みたいに別クラスとして扱って、基礎ステータスが違うみたいに語るというカテゴリ・エラーをやったと思う。
彼自身もモデルに問題があるのは認めるだろう。後から次元を足したり引いたりするかもしれないと言ってるし、リバタリアンを説明するために第6軸も追加した。
私はこのモデル、MBTIみたいなものだと思う。
面白いけど、人をかなり誤った結論に導きかねない。


それを私はできるだけ多くの人に勧めてる。第二次世界大戦以来書かれた最重要書の一つだと思う。政治や社会を「正しい人と間違った人」「善人と悪人」に分けて文脈化するのではなく、異なる政治宇宙・道徳宇宙に生きる人たちが互いを理解し、合意へ向かうための枠組みを与えようとしているからだ。アメリカの公の場にいる数少ない誠実な人物の一人による、すごい本だ。
追記:この本は(この投稿へのいくつかの返信もそうだけど)不誠実な批判を過度に受けている作品でもある。ハイトが序文で言うように、この本は政治右派を理解したいという動機から書かれている。具体的には「貧しい人たちがジョージ・ブッシュに投票する」という事実に、左派の学者が感じた認知的不協和を理解するためだ。右派を「後進的な差別主義者」や「銃と宗教にしがみつく白人の田舎者」として切り捨てるのではなく、理解しようとしたことが、視野の狭い批判者を生んだ。彼らは自分の視点もまた、遺伝、感情、幼少期の経験によって、自分が思う以上に条件づけられている可能性を認めたくないだけだ。


いい本っぽいけど、個人的には現実についての本は好きじゃない。現実の世界について読むと、そこから逃げられないどころか、問題の中にもっと深く入り込むだけだと思ってるから、フィクションしか読まない。別世界にいる気分になれるのがいい。


種として、協調的協力の能力を失いつつあるように見える。


どうしてそう思う?世界は色々とぐちゃぐちゃだけど、それでも史上最高に良くなってる。これだけ多くの人や国や州や王国が、しかも多様な文化を抱えたまま、これだけ平和と協力の中で生きられている時代は歴史上なかった。


これらの反応を並べて読むと、一つの共通点が浮かび上がります。
それは、「自分は分かっている側だと思っていた人ほど、強く揺さぶられている」という点です。

  • リベラルは「自分たちはヒエラルキーを否定している」という自己像を疑われ、
  • 保守は「冷酷なのではなく、違う価値を守っているだけだ」という説明に戸惑い、
  • そして中道を自認する人ほど、「自分は客観的だ」という前提そのものを崩されます。

道徳基盤理論が本当に鋭いのは、誰かを論破するための理論ではなく、自分の正しさがどこから来ているのかを説明してしまう点にあります。 だからこそ、この本は称賛と同時に、強い反発も生むのです。


結論:「座標」ではなく「ベクトル」を見る

政治的立ち位置を考える際、「中道」は固定された場所ではありません。 時代や状況が変われば、その位置も動きます。 その意味で、「中道」は「住所」のようなものです。その時点でどこに立っているかを示す説明にはなりますが、それ自体が信念や方向性を語るものではありません。

重要なのは、今どこに立っているかではなく、どちらに向かおうとしているのかです。

『社会はなぜ左と右にわかれるのか』は、特定の思想を正当化する本ではありません。 むしろ、「自分の正義が、いかに直感と環境に支えられているか」を自覚させる本です。 だからこそ、この本は「中道」を自称する人にとっても、読み応えがあります。

自分は本当に中立なのか。 何を当然だと思い、何を無意識に軽視しているのか。

2026年の政治を考えるうえで問うべきなのは、誰が真ん中にいるかではありません。 その人たちが、どんな価値を優先し、どの方向へ進もうとしているのかです。

「座標」ではなく、「ベクトル」を見る。

この本は、そのための思考の補助線を与えてくれます。

それではまた、次の記事でお会いしましょう。


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