【書評×海外の反応】『財政赤字の神話』はどこまで正しかったのか|MMTの答え合わせとカルピス理論が示す通貨の行方

はじめに:その「壁」の向こう側にあるもの

今、日本中が「178万円の壁」「減税」の話題で持ちきりです。
「手取りを増やしてほしい」という切実な声に対し、財務省や慎重派の政治家は、決まってこう切り返します。

「お気持ちは分かりますが、財源はどうするんですか?
これ以上、国の借金を増やせば将来世代へのツケになり、日本は破綻しますよ」

このやり取りは、もはや日本の政治におけるお決まりの光景です。

ただ、この議論を目にするたび、私はある既視感を覚えます。
それは、数年前から欧米の経済論壇や海外掲示板で、文字通り「殴り合い」のような激論を生んできた、ある理論を巡る論争です。

その理論の名前が、MMT(現代貨幣理論)
そして、日本でもその名前が広く知られるきっかけになったのが、ステファニー・ケルトン氏の著書
『財政赤字の神話(The Deficit Myth)』でした。



「政府は財政破綻しない」
「税金は財源ではない」

こうした刺激的なフレーズによって、この本は
「常識を覆す革命的な経済書」
あるいは
「危険な財政ポピュリズムの教科書」
として、強烈な賛否を呼ぶことになります。

ただし、ここで一つ押さえておくべき重要な点があります。

ケルトン氏は、MMTを生み出した張本人ではありません。
MMTは、誰か一人が思いついた新理論ではなく、1990年代以降、複数の研究者によって少しずつ積み上げられてきた枠組みです。

もともとのMMTは、
「政府と中央銀行は、実際にはどうお金を発行し、回収しているのか」
を制度的・会計的に整理する、記述的な理論でした。

日本の長期停滞や、財政赤字が拡大しても破綻しない国の存在を、
既存の経済学では説明しきれなかったこと。
それが、MMTが注目される土壌になっていました。

ケルトン氏の功績は、その理論を
・専門家の世界から引き出し
・一般の言葉に翻訳し
・現実の政策論争に結びつけた
点にあります。

そして皮肉なことに、MMTが世界的に知られるようになった最大の理由は、
理論が完成したからではありません。

コロナ禍という非常事態の中で、各国が結果的に
MMT的としか言いようのない財政運営を、一斉に実行してしまったからです。

理論として語られていたものが、
否応なく現実の政策として試される段階に入った。
そこから、支持と批判が爆発的に噴き出すことになります。

本記事では、前半でMMTの代表的な主張を整理しつつ、
後半では私なりの視点――
「経済とは巨大なカルピスサーバーである」
という比喩を使って、なぜこの理論が現実世界で混乱を招いたのか、そして日本は今どこに立っているのかを考えていきます。


第1章:『財政赤字の神話』が揺さぶった4つの常識

『財政赤字の神話』でケルトン氏が示した主張は、
MMTの考え方を一般向けにまとめ直したものだと言えます。

彼女の問題提起を一言で表すなら、
「私たちは、国家財政を家計と同じ感覚で見すぎている」
という点に尽きます。

本書では、私たちが当たり前だと思い込んできた「財政の常識」が、次々と問い直されます。
ここでは特に重要な4つを整理します。


1. 「政府は家計と同じ」という神話

政治家はよくこう言います。
「家計が赤字なら節約する。国も同じだ」

しかし、ケルトン氏はこれを最大の誤解だと指摘します。

家計や企業は、通貨の利用者です。
稼いだ分の範囲でしか支出できません。

一方、政府は通貨の発行者です。
自国通貨建てであれば、日本円を発行できる日本政府が、日本円不足で破産するという事態は、原理的に起こり得ない。

ここが、MMTの出発点です。


2. 「赤字は悪である」という神話

「国の赤字」と聞くと、多くの人は不安を感じます。

しかし、経済全体で見れば収支は必ず一致します。
「政府の赤字 = 民間の黒字」

政府が赤字になるということは、その分のお金が民間に流れ込み、私たちの資産が増えることを意味します。
逆に、政府が黒字を目指すということは、民間の黒字を削ることと同義になります


3. 「税金は財源である」という神話

MMTの中でも、最も直感に反するのがこの点です。

政府は、支出するために税金を集めているわけではありません。
実際の順序は、先に支出があり、後から回収がある。

では、税金は何のためにあるのか。
ケルトン氏は、税の役割を次のように整理します。

・インフレを抑えるための調整弁
・格差を是正するため
・社会的に望ましくない行動を抑制するため


4. 制約は「インフレ」のみ

ここで重要なのは、MMTが無制限のバラマキを正当化する理論ではない、という点です。

お金そのものに限界はありませんが、
モノやサービスを生み出す供給能力には限界があります。

その限界を超えて支出すれば、必ずインフレが起きる。
MMTはむしろ、「唯一の制約はインフレだ」と強調します。


第2章:海外掲示板での「激論」と熱狂

今回紹介するのは
“The Deficit Myth” by Stephanie Kelton, a Review ステファニー・ケルトン著『財政赤字の神話』のレビュー
というスレッドです。

特に興味深いのは、この議論が交わされたのが、コロナ禍より前、約6年前だという点です。
当時、世界的なインフレはまだ起きておらず、MMTは一部では希望の理論として、別の一部では危険な思想として語られていました。

その後、パンデミックをきっかけに、各国はかつてない規模の財政出動を行い、現実にインフレを経験することになります。
その結果、いま読み返すと、この議論は「嵐が来る前の会話」のようにも見えます。

彼らは何を楽観し、何を恐れていたのか。
そのやり取りを、以下で見ていきましょう。

以下はスレッド内のユーザーコメントの抜粋・翻訳です。


MMTって、お金の量とインフレの関係がどこかで切れてる、みたいな前提に立ってる気がする。でも正直、その関係はまだ結論が出てないと思う。
アメリカの150年以上のデータを見ると、インフレとマネー増加にはかなり強い相関がある。国をまたいでも似た結果が出てるし、この数字は無視できない。
その相関をちゃんと否定できた研究って、誰か見たことある?


「縛られた状態」のデータを持ち出しても意味ないでしょ。
MMTは、そもそもその縛りを外したらどうなるかを考えてる。
問題にしてるのは“余った貯金”で、主流派はそれをどう動かすかばかり考えてる。でも実際、貯金って全体としては動かない。
だからMMTは、動かない貯金は気にせず、新しいお金を流れに足せばいい、って考え方なんだ。


つまり、その相関を否定できる証拠は無いってこと?
それに今って、別に貯金が余りまくってる状況でもないと思う。
破綻の話じゃなくて、これはインフレの話だよ。


そろそろ歴史のサイクルが一周して、また冬の時代に入る頃だと思う。
「この国は永遠だ」「自分たちは特別だ」って思われてた国が、過去に何度も転んできた。
自国通貨を刷れる国は破綻しないって信じてた人たちも、結局は現実を突きつけられてきた。
今は、その記憶を持つ人がほとんど残っていないのが一番怖い。


海外の反応の続きはnoteで読むことが出来ます。


「通貨は死ぬ」という予言

いかがでしたでしょうか。

驚かされるのは、6年前の時点で既に
「政府が生き残っても、通貨の価値は失われ得る」

という指摘が、ここまで明確に語られていたことです。

その後、世界はコロナ対策という名目で、実際にMMT的とも言える大規模な財政出動を行いました。
結果として私たちは、

MMT派が繰り返し強調してきた「インフレこそが唯一の制約である」という事実と、
懐疑派が恐れていた「現実に運用すれば、制御が極めて難しくなる」という問題点の両方を、

ほぼ同時に体験することになりました。

彼らの議論は、単なる机上の空論ではありません。
むしろ、現代経済に組み込まれた「時限爆弾のスイッチ」がどこにあるのかを、かなり正確に示していたと言えるでしょう。

では、その爆弾は日本ではどういう形で作動しているのでしょうか。


第3章:独自の視点~経済を「カルピス」で解剖する~

ここで、視点を日本に移します。

欧米のような急激な物価高騰は起きておらず、日本は表面的には、世界的な混乱をうまくやり過ごしている「例外」のようにも見えます。少なくとも、「通貨が死んだ」という強い実感を持つ人は、まだ多くないかもしれません。

しかし、それは本当に「無事」と言える状態なのでしょうか。

激しいインフレではなく、歴史的な円安と、長期にわたる実質賃金の低下という形で、同じ現象がより緩やかに、しかし確実に進行しているだけではないでしょうか。

海外掲示板で語られていた
「政府は破綻しないが、通貨の価値は失われ得る」
という警告は、日本ではより分かりにくく、しかし持続的な形で現れているように見えます。

この、日本特有の「鈍く、しかし確実に進む変化」を整理するために、ここからは経済全体を「飲み放題のカルピスサーバー」として捉えてみたいと思います。


1. 経済を動かす「2つの操作」

ここからは、経済全体を「飲み放題のカルピスサーバー」として考えてみます。

このサーバーでは、カルピスの濃さと、そこから先にどれだけ注がれるかが、別々の意思決定によって左右されています。
それを担っているのが、政府の財政政策と、日銀の金融政策です。

整理すると、関わっているのは次の2つです。


① 政府の財政政策:蛇口の開け閉めと配分を決める存在

政府の役割は、カルピスそのものを作ることではありません。
民間企業が原液(付加価値やイノベーション)を作りやすい環境を整えつつ、サーバーから企業や家計へと流れる蛇口を、どれだけ開くかを決める立場にあります。

具体的には、

・予算を通じて水を足す(財政出動)
・税や社会保険料によって蛇口を絞る、あるいは広げる(増税・減税)

といった形で、どこに、どれだけ流すかを調整します。


② 日銀の金融政策:カルピスの濃さに影響を与える存在

一方、日銀(中央銀行)が担っているのは、カルピス全体の味を保つことです。

・物価を安定させること
・できるだけ多くの人がグラスを持てる状態を保つこと(雇用の最大化)

そのために日銀が行うのが、水圧、つまり金利の調整です。

水圧を強めれば、水は回りやすくなり、全体として薄まりやすくなる。
水圧を弱めれば、流れは落ち着き、濃さは保たれやすくなる。

つまり、

政府は「どこに、どれだけ注ぐか」を決め、
日銀は「全体の味が崩れていないか」を見張っている。

この二つが噛み合ってはじめて、カルピスサーバーは安定して機能します。


2. 日本で起きた「操作ミス」の正体

では、この20年あまり、日本のコックピットでは何が起きていたのでしょうか。

結論から言えば、二人の担当者はうまく連携できなかっただけでなく、結果的にマシンを壊しかねない操作を続けてしまったと言えます。


【政府の罪】

水は流したが、家計に届く直前で「蛇口」を閉めた

MMTの理論上、カルピスが濃すぎて水が足りない時、つまりデフレ圧力が強い局面では、政府が水を足し、同時に蛇口を開いて需要を喚起するのが正解です。

そうすることで企業は、

「売れそうだ」
「投資しても回収できそうだ」

と判断し、原液(生産性向上や国内投資)を作り始めます。

しかし日本政府が実際に行ったのは、
「上流で水(予算)は流したが、家計に届く直前で蛇口を閉める」
という操作でした。

これが、消費増税や社会保険料の引き上げです。

景気対策を掲げながら、家計の可処分所得を削る。
この矛盾した操作の結果、企業は次第にこう判断します。

「作っても売れない」
「国内で投資する意味がない」

そして原液を作る努力をやめ、カルピスは私たちのグラスではなく、企業のタンク(内部留保)に溜まり続けることになりました。


【日銀の罪】

出ないから「水圧」だけで解決しようとした

一方、日銀の立場から見れば、政府が蛇口を絞っている以上、自分の持ち場で出来ることは限られていました。

そこで日銀は、水を無理やりにでも押し出そうと、水圧バルブを極限まで回します。
ゼロ金利、マイナス金利、いわゆる「異次元緩和」です。

「蛇口は閉まっているが、水圧を上げれば何とかなるはずだ」

しかしこれは、極めて危うい賭けでした。

配管がパンパンに張り詰めた状態でバルブ操作を誤れば、強烈な衝撃が走り、配管そのものを壊してしまう。
水道用語でいうウォーターハンマー(水撃作用)です。

その恐怖ゆえに、バルブは全開のまま放置され、錆びついて動かなくなってしまいました。
結果として、いざインフレという「水漏れ」が起きても、簡単には締められない状態に陥ったのです。

こうして日本経済は、
「政府が出口を塞ぎ、日銀が圧力をかけ続ける」
という、いびつで逃げ場のない状態に置かれることになりました。


バグ①:原液の枯渇と、薄まった信頼(円安)

この「出口のない高圧状態」が続いた結果、何が起きたのでしょうか。

政府が蛇口(需要)を閉め続けたことで、企業は「モノを作っても売れない」と悟り、国内での投資を控えるようになりました。
つまり、カルピスの味を決める「原液(生産能力・稼ぐ力)」が、時間をかけて削られていったのです。

  • 水(円)
     日銀が圧力をかけているため、世の中に大量にあり、安く調達できる。
  • 原液(国力)
     需要が冷やされた結果、徐々に細っていく。

カルピスの濃さは、「水」と「原液」の比率で決まります。
水の量が変わらなくても、原液が減れば、味は薄くなります。

これを見た海外の投資家は、冷静に判断しました。

「水圧ばかり強くて、肝心の原液が足りない」
「味のしない水(円)より、原液のある飲み物(ドル)を選ぼう」

これが、歴史的な円安の正体です。

単にお金を刷りすぎたからではありません。
成長力という裏付けを失った結果、通貨の信頼が揺らいだのです。

MMTが言うように財源は尽きなくても、枯渇した原液までは補えません。
そのツケが、輸入物価の上昇という形で私たちの生活を直撃しています。


バグ②:不味いから「チケット」で誤魔化す(悪い金利上昇)

ここからが、最も危険な局面です。

カルピスが水のように薄まると、人々はカルピス引換券、つまり国債を手放し始めます。
これが国債の暴落です。

水圧の調整だけでは止められません。
問題は流量ではなく、味そのものだからです。

そこで使われるのが、最後の手段です。

「この券を持ってくれた人には、利子という“おまけ”を付ける」

これが、市場に強制される「悪い金利上昇」です。

信用があるから持たれるのではなく、高金利だから仕方なく持たれる。
この段階に入ると、利上げは防御策であると同時に、新たな水を生む行為にもなり得ます。

もちろん、すべての利上げが悪というわけではありません。
しかし、通貨の信用が傷ついた後に行われる防衛的な利上げは、常にインフレを悪化させるリスクを伴います。


【実例コラム】イギリスの「トラス・ショック」から学ぶ恐怖

「そんな簡単に国債が暴落したり、金利が制御不能になったりするのか?」
そう思うかもしれません。しかし、これは2022年9月にイギリスで実際に起きた出来事です。

1. 店長とオーナーの「大喧嘩」

当時、イギリス中央銀行はインフレを抑えるため、必死にサーバーのバルブを閉めている最中でした。
つまり、利上げによって水の流れを弱めようとしていたのです。

ところがその横で、トラス政権というオーナーが、「大規模減税」という別の蛇口を全開にし、水をぶち込もうとしました。

市場は即座に反応します。

「店長は水を止めようとしているのに、オーナーは水を撒き散らしている。
この店、もう何をしたいのか分からないぞ」

そう判断した投資家たちは、一斉にイギリス国債とポンドを売り浴びせました。

結果、金利は急騰し、ポンドは暴落。
年金基金は破綻寸前に追い込まれ、政権はわずか49日で崩壊します。

これは、市場が“政策の矛盾そのもの”に対して「NO」を突きつけた瞬間でした。

2. 日本はなぜ無事なのか?(「一見さん」と「身内」の違い)

では、さらに借金の多い日本で、なぜ同じことが起きていないのでしょうか。
理由はシンプルで、カルピスサーバーを囲んでいる客層がまったく違うからです。

イギリスの場合、国債の多くを持っているのは海外投資家です。
彼らは、いわば「一見さん」。

「味が落ちた」「店の方針が怪しい」
そう感じた瞬間、彼らは迷わず店を出て行きます。
だからこそ、暴落は一気に起きました。

一方、日本の場合、国債の大半を持っているのは国内の銀行や日銀です。
彼らは、この店に住んでいる身内のような存在です。

多少カルピスが薄くなっても、
規制や構造上の理由から、簡単に店を捨てて外へ逃げることはできません。
チケットも円建てなので、そもそも店の外では使えないのです。

つまり日本が持ちこたえているのは、
身内同士でチケットを回し合い、資産が国内で循環しているからに過ぎません。

ただし、これは永久機関ではありません。

もし、身内である国民自身が
「この店の水はもう信用できない。ドルに換えよう」
と一斉に動いたらどうなるか。

その瞬間、最大の防波堤だった「身内」が、崩壊の引き金になります。

トラス・ショックは、
「どれほどの大国でも、市場と国民の信認を同時に失えば一瞬で崩れる」
という、日本への強烈な予告編なのです。


バグ③:巨大タンクの「内部循環」(内部留保)

さらに悪いことに、配られたカルピスは私たちの元まで届いていません。 本来、カルピスは「政府→企業→家計(給料)」と流れるはずです。しかし、企業のタンクが巨大な「ダム」になってしまいました。

企業は過去最高益を更新していますが、そのカルピスを従業員のグラス(給料)には注ぎません。 ではどこへ消えているのか? 自社株買いや金融商品への投資、あるいは将来への備えとして、企業のタンクの中で「再投資」という名の内部循環を繰り返しているのです。

結果として起きているのは、次のような皮肉な現象です。

  • 上流(企業): カルピスがたっぷりと溜まり、タンクの中でグルグルと回っている。
  • 下流(家計): 「量(給料)」は流れてこないのに、「薄まった」という事実(インフレ)だけが流れてくる。

トリクルダウン(滴り落ちる恩恵)は起きず、ただ薄められた水の影響だけを受け取る。これが、庶民が「景気回復の実感」を全く持てない理由です。


第4章:今後の日本シナリオ~水撃作用(ウォーターハンマー)の恐怖~

さて、現時点の日本は、欧米ほどの激しいインフレには陥っていません。
この点だけを見れば、確かに「致命傷は避けている」ようにも見えます。

しかし問題は、これまで水の量が抑えられてきたことではなく、今後、水そのものを増やさざるを得ない局面に入っているという点です。

防衛費の増額、社会保障費の膨張、各種給付や補助金。
日本の財政はすでに、「これ以上水を足さない」という選択が取りにくい構造に入っています。

そして、今まさに議論されている 「178万円の壁の引き上げ」や「ガソリン減税」 も、この流れの延長線上にあります。

これらは「国民の手取りを増やす」「物価高対策」という意味では、確かに正当性のある政策です。
しかしカルピス理論で見れば、これは例外なく 「サーバーに新たな水を足す操作」 に当たります。

しかも重要なのは、その水が 一時的な応急措置ではなく、恒久化しやすい性質を持っている という点です。

・一度引き上げた壁は、簡単には戻せない
・一度下げたガソリン税も、上げ直すには強烈な政治的反発が伴う

つまり、水は足されるが、後から引くことが極めて難しい。

水(通貨)の流れには「慣性」があります。
一度勢いよく流れ始めた水は、蛇口を少し締めた程度では、すぐには止まりません。

第3章で見た通り、日本では日銀の水圧バルブが、長年の全開操作によって錆びつき、すでに細かな調整が難しい状態になっています。
そこへ、政府による水の追加投入(減税・補助金・壁の引き上げ)が重なってくる

この状況でタイミングや量を誤れば、何が起きるのか。

今後の日本には、大きく分けて3つのシナリオが考えられます。


シナリオA:黄金比への調整(ソフトランディング)

政治が少しずつ蛇口を調整し、同時に民間企業が原液(生産性・付加価値)を増やしていくパターンです。

水圧を爆発させないよう、ミリ単位で慎重に操作し、
原液が増えた分だけ水を流す。

時間はかかりますが、カルピスの味(通貨価値)は徐々に回復し、生活の実感も伴ってきます。
最も繊細で、忍耐を要しますが、唯一「前向きな出口」と言えるルートです。


シナリオB:味のしない水(現状維持・茹でガエル)

配管破裂を恐れてバルブを触らず、かといって原液も増えない状態が続くパターンです。

カルピスは少しずつ薄まり続け、
緩やかな円安とインフレ、そして実質賃金の低下が常態化します。

劇的な破裂は起きません。
その代わり、気づいた時には「それが普通」になっている。

世界の中で、日本だけが「味のしない水」を当たり前のものとして受け入れている。
静かですが、確実な衰退の道です。

残念ながら、現在の日本はこのシナリオの延長線上にあります。


シナリオC:配管破裂(クラッシュ)

インフレ(水流)が制御不能になり、パニックの中でバルブを一気に閉めるパターンです。
急激な利上げや大増税、あるいは市場から強制的に止められるケース(トラス・ショックの再来)も含まれます。

ここで起きるのが、「ウォーターハンマー(水撃作用)」です。

勢いよく流れていた水を急に止めると、
行き場を失ったエネルギーが衝撃波となり、配管そのものを破壊します。

かつてのバブル崩壊も、これに近い現象でした
錆びついたバルブを無理に回した瞬間、
日本経済という配管自体が破裂し、私たちの生活基盤が一気に崩れ落ちる。

これが最悪の結末です。


結論:理論は「人間」に勝てない

『財政赤字の神話』は、経済という巨大な仕組みの設計図を描き直した、刺激的で重要な一冊です。
「財源がないから何もできない」という言葉が、政治的な方便であることを暴いた点は、間違いなく評価されるべきでしょう。

しかし、この数年間の世界の混乱と、日本自身の経験が示したのは、もう一つの現実です。

理論上は制御可能でも、人間社会では制御できないことがある。

MMTは、インフレになれば増税などでブレーキを踏めばよいと説明します。
ですが、現実の民主主義社会で、選挙を控えた政治家が、

「物価が上がっているので、これから増税します」

と口にできるでしょうか。
ほぼ不可能です。

ブレーキを踏むべき瞬間ほど、
人はアクセルを踏みたくなる。

問題は「お金を刷れるか」ではありませんでした。
刷る力を手にした人間が、自制できるのかという、極めて政治的で、そして人間的な問題だったのです。

日本は今、かろうじて踏みとどまっています。
まだシナリオAへ向かう余地は残されています。

そのために必要なのは、
ただ「もっと水を足せ」と叫ぶことではありません。

  • どうすれば企業が原液(付加価値)を作れるのか
  • どこでバルブを閉める覚悟を持てるのか

その選択を、私たち自身が引き受けられるかどうか。

結局のところ、この巨大なカルピスサーバーを暴走させない最後のストッパーは、
どんな理論でも制度でもなく、
私たち一人ひとりの判断と選択なのかもしれません。

それではまた、次回の記事でお会いしましょう。




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