日本で相次ぐ転売騒動:Switch2・ポケモンカードが標的に
最近、日本では任天堂の新型「Switch2」や、マクドナルド限定のポケモンカードが発売直後に瞬時に売り切れ、フリマアプリで高額転売される事例が相次ぎました。消費者からは「本当に欲しい人が買えない」「子供の楽しみを奪っている」といった批判の声が上がり、SNS上でも大きな議論を呼んでいます。
こうした事態は日本に限らず、世界各国でも同様に発生しており、「転売は市場を歪める迷惑行為なのか」「それとも資本主義の一部として正当なのか」という論点で議論が交わされています。
海外の転売規制:イギリス政府がチケット転売を制限へ
イギリスでは、人気コンサートやスポーツイベントのチケットが即座に売り切れ、高額で転売される問題が深刻化しています。これを受けて政府は、転売価格を定価の30%までに制限する新ルールを検討中です。違反した業者や販売サイトに罰則を科す方針で、消費者保護の観点から規制強化の流れが加速しています。
経済学から見た転売の役割
一方で経済学者の中には、転売が市場の効率化に寄与していると評価する声もあります。人気商品の需要が供給を上回る状況では、価格を通じて商品が本当に必要な人へと再配分される仕組みが働きます。
「転売は単なる悪ではなく、需給ギャップを埋める市場機能の一部」とする議論も存在するのです。
Redditで盛り上がる「転売」議論
「昔のやり方じゃもう通用しない。インフレや格安通販のせいで、差別化できないんだよね。」
「転売は全部が悪とは言えない。でも限定品を裏ルートで独占して流すのは許せないわ。」
「価値を見つけて利益に変えるのは資本主義の基本でしょ?むしろゴミになるものを流通させてるんだから意義あると思う。」
「転売は仕事の一種だよ。仕入れや顧客対応にも労力はかかる。高値販売も安値回転もどっちも戦略。」
「安く買って高く売ること自体は商売の基本。ただし、生活に困っている人から奪うような買い方は避けてほしい。」
「転売は悪とは言わない。でも最近の転売の“形”には正直、うんざりする。」
「セール品を買い占めて高値で売るようなことをする人は、正直“泥棒に値する”と思う。」
「私は古着を倫理的な理由で買いに行くけど、見事に買い逃す。だから、手間やセンスをかけて店を良く見せている出品者には、少し高くても払ってもいいと思う。」
「小さな出品者から14ドルで買った服を200ドルで売ってるのを見た時は、正直気持ち悪かった…」
「PS5や限定スニーカーの大量買い→高額転売も合法だけど、自分も欲しかった立場ならモヤモヤするよね。」
「善意で提供された服がリサイクルされずに捨てられるより、転売で誰かに使われる方がマシ。むしろサステナブルな一面もあると思う。」
「質の良い商品を見つけて時間かけて仕入れて、それを適正に販売するのは、ちゃんとしたビジネスだよね。普通の商売と何も変わらない。」
「実際、善意で古着を集めても、良品って結構少ない。人の流れる服を活かすのは、むしろ価値ある行為だと思う。」
「いいところをアップサイクルして価値を上げる人はリスペクトできる。ただ単に“きれいなもの”を買って高く売るだけの人はちょっと…」
出典
- Reddit: Is reselling dying?
- Reddit: Is reselling ethical?
- Reddit: Why all the hate on resellers?
- Reddit: At what point is reselling unethical?
日本と海外で違う「転売観」
欧州:公平性を重視し規制強化
イギリスをはじめ欧州では「ファンの公平な機会」を重視する文化が強く、チケット転売規制のように消費者保護のための政策が進められやすい傾向があります。
米国:資本主義的自由として容認
スニーカーやゲーム機などの転売は、副業や生計の手段として社会的に一定の理解を得ています。「市場に需要があるなら正当」という考え方が根強いのです。
日本:倫理的批判が強い
日本では「転売ヤー」という言葉が定着し、社会的な非難が集中しやすい傾向があります。背景には「公平に分け合うべき」という文化的価値観があり、欧米とは対照的です。
まとめ:転売は「悪」か、それとも商売の基本か
日本では「転売ヤー」という言葉がすっかり定着し、多くの人が強い嫌悪感を抱いています。特にSwitch2やポケモンカードのように、本当に欲しい子供やファンが手に入れられない状況が繰り返されれば、「転売=社会悪」と考えるのは自然な感情です。さらに、コロナ禍のマスク不足や令和の米騒動のように、生活必需品を買い占めて流通を堰き止めた例は、明らかに社会を不安に陥れるものであり、強い批判が向けられて当然です。
ただし忘れてはいけないのは、「安く仕入れて高く売る」こと自体は、商売のもっとも基本的な形 だという点です。八百屋も書店も家電量販店も、すべては仕入れと販売の差益によって成り立っています。極端な買い占めや独占的な高額転売は確かに問題ですが、適正な範囲での商品再販は本来の商取引の一部なのです。
海外では、転売を一律に「悪」とせず、「規制すべき領域(必需品や公共性の強いもの)」と「市場に任せる領域(趣味や嗜好品)」を分けて議論 する傾向があります。日本でも、転売を無条件に忌避するのではなく、「どこまでが許されるか」という線引きを冷静に考えることが求められているのではないでしょうか。
転売は社会を混乱させる側面と、市場を効率化させる側面の両方を持っています。だからこそ、私たちは「感情的な嫌悪感」だけでなく、「本来の商売のあり方」と照らし合わせながら、その功罪を考える必要があるのです。
それではまた、次の記事でお会いしましょう。