W杯米国代表バログン、異例の出場停止保留 トランプの電話とFIFA第27条という前例【海外の反応・解説】

米国代表バログンのレッドカードによる出場停止が、トランプ大統領の電話とFIFA第27条により保留されました。1962年以来という前例の経緯と、そこに残る裁量の論点を海外の反応とともに読み解きます。

今回の記事の重要ポイント(三点)

・トランプ大統領がFIFA会長に「見直し」を求める電話をかけた後、FIFAが規程の第27条を使い、退場に伴う自動出場停止を1年間の保護観察付きで保留した。ワールドカップのレッドカードで次戦の出場停止が科されなかったのは1962年以来とされる。

・レッド判定そのものは専門家の間でも評価が割れ、FIFAの決定も規程上は可能な措置である。この一件の争点は「判定が正しかったか」ではなく、ほとんど使われない裁量が、どのような経緯で動いたかにある。

・恩恵を受けたのが開催国の選手であり、審査を求めたのが開催国の元首だった点が、この件をとりわけ敏感なものにしている。米国はベルギーに敗れて大会を去ったが、開いた前例は結果に関わらず残った。


ニュース

米国代表FWフォラリン・バログンが受けたレッドカードの処分を巡り、国際的な批判が続いている。バログンは7月1日のワールドカップ・ラウンド32、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦で先制点を挙げた後、後半に相手DFタリク・ムハレモビッチの足首を踏み、レッドカードを受けた。退場は次の1試合の自動出場停止につながる。米国は2-0で勝ち、決勝トーナメント初戦を突破した。

その後、トランプ大統領がFIFAのインファンティノ会長に電話し、判定の見直しを求めたことが明らかになった。トランプは「ファウルだと思わなかったので見直しを頼んだ」「どうしろとは言っていない」と述べた。FIFAは懲戒規程の第27条に基づき、出場停止を1年間の保護観察付きで保留し、バログンは次のベルギー戦に出場できることになった。ワールドカップでレッドカードを受けた選手が次戦に出たのは、1962年のブラジル代表ガリンシャ以来とされる。

バログンは7月6日のベルギー戦に先発したが無得点に終わり、米国は1-4で敗れて大会を去った。ベルギーの抗議をFIFAは「受理不能」として退けた。欧州サッカー連盟(UEFA)は「レッドラインを越えた」「前代未聞で、理解も正当化もできない」と批判し、元FIFA会長のブラッターも「レッドカードは政治的な電話で覆すものではない」と述べた。焦点は、判定の当否よりも、前例のない措置がどのような経緯で取られたのかに移っている。


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補足説明

レッドカードと「自動出場停止」、そして不服申し立ての壁

レッドカードによる出場停止は、原則として争えません。審判が下した事実に関わる判定に対して、チームが抗議や不服申し立てをすることは基本的にできず、一発退場に伴う次の1試合の出場停止も、自動的に発生してそのまま消化するのが通常です。

この「交渉できない」という性質は、不便に見えて、実は制度の背骨にあたります。試合ごとに判定への異議を受け付けていては大会が回らないため、退場と出場停止はあえて機械的に処理される仕組みになっています。裏を返せば、レッドカードそのものの当否を後から正式に覆す正規のルートは、ほとんど用意されていないということです。今回の措置が目立ったのは、この「正面の扉」がない状況で、別の裁量的なルートが使われたからでもあります。


FIFAはカードを取り消していない。第27条と「執行の保留」

見出しでは「レッドカードが覆った」と伝わりがちですが、FIFAはカードを取り消していません。FIFAが用いたのは懲戒規程の第27条で、司法機関が処分の執行を全部または一部、保留できるという規定です。保留する場合、対象者は1年から4年の保護観察に付され、同種の違反を繰り返せば、保留された処分が改めて執行されます。

つまり今回は、レッドカード自体は有効なまま、それに伴う出場停止の「執行」だけが1年間止められた形です。FIFAは「判定が誤りだった」と認めたわけでも、カードを白紙に戻したわけでもありません。第27条には、どのような場合にこの保留を使ってよいのかという条件が具体的に書かれておらず、理由の説明も義務づけられていません。実際、この措置が同じ規程で使われた例は過去にもあります。2025年11月、ポルトガルのロナウドが予選で肘打ちにより暴力行為で3試合の出場停止を科された際、FIFAはこの第27条を用いて2試合分を保護観察に繰り延べ、ロナウドはワールドカップの初戦に出場しました。仕組みそのものは、バログンのために新しく作られたものではありません。


60年ぶりの異例。1962年ガリンシャという唯一の前例

ワールドカップのレッドカードを巡って、次戦への出場が認められた前例は、確認できる限り1962年の1件だけだとされています。この年、チリで開かれた大会の準決勝で、ブラジルのガリンシャが退場になりました。当時はレッドカードが自動的に出場停止につながる仕組みではなく、規律委員会が証拠を検討して処分を決める形でした。

このとき、開催国チリの大統領がガリンシャの出場を求める嘆願を後押しし、ペルーの大統領が主審に働きかけたとも伝えられています。ガリンシャは警告のみで済み、決勝に出場してブラジルの優勝に貢献しました。政治的な立場にある人物がワールドカップの懲戒に関わったという意味で、今回とよく似た構図が、60年以上前にすでにあったことになります。当時と今回の違いは、当時はまだ自動出場停止のルールがなく、委員会に裁量の余地があった点です。


FIFAと「政治不介入」という理念

FIFAは、加盟する各国協会に「政治からの独立」を強く求めてきました。政府が国内のサッカー協会の運営に介入した場合、その協会の資格を停止するという厳しい姿勢を取っており、過去にはクウェートやパキスタンなどが、この理由で国際大会から締め出されています。

もっとも、国内協会の運営に政府が介入するケースと、開催国の元首がFIFA会長に電話をかけるケースは、制度上の位置づけが同じではありません。前者を理由に協会を罰してきたからといって、後者がそのまま同じ違反にあたるわけではないでしょう。それでも、政治からの独立を掲げてきた組織の理念と、今回の経緯がどこまで整合するのかという問いは残ります。


海外の反応

このレッドカードと処分保留を巡っては、英語圏のインターネット上でも激しい議論が起きています。ここで紹介するのは、退場シーンの映像を検証するスレッドに寄せられた反応であり、英語圏のネット上の声にすぎず、現地の世論を代表するものではない点はご留意ください。判定そのものへの評価は割れており、賛否が国籍や立場によっても分かれている様子がうかがえます。

以下はスレッド内のユーザーコメントの抜粋・翻訳です。

判定が下された当日、あれをレッドだと言っていた人は5%くらいしかいなかった。それもカナダやメキシコ、ボスニアのファンが中心だった。ところが政治の話と偏った憎しみが入り込んだ途端、今度はみんなにとってレッドになったわけだ。あの日「レッドで妥当」と言った審判解説者なんて一人もいなかったのに。


クラッテンバーグ、アンリ、ズラタン、トゥヘル。「あれはレッドではない」と言った大物は何人もいる。それでも”eurosplaining(欧州人の上から目線の説明)”は続く。


普通の歩幅で走っていて、後ろから来る相手が見えていない。ステップを踏む前に接触されてバランスを崩している。レッドではない。


二人ともボールを見て競り合っていた。ボスニアの選手が後ろからバログンの右肩に当たり、空中でバランスを崩させたんだ。


イエローなら分かる。でもレッドはない。


ここのコメントの多くは、そもそも論争を理解していないと思う。レッドだったかどうかは争点じゃない。「レッドじゃなかった」と言い張っている人は、何が問題になっているのかを分かっていない。


イエローかレッドかは一日中議論できる。でもそれは要点を外している。政治指導者が試合の結果に影響を与えられてしまうこと、それ自体が問題なんだ。


レッドかどうかに関係なく、大統領がピッチ上の出来事に口を出すべきじゃない。電話一本であっさり決定を覆せてしまう。それが一番の問題だと思う。


判定が正しかったかどうかは、実のところどうでもいい。スポーツの決定に政治が介入すること自体が間違っているんだ。


際どい判定なのは分かる。でも本当の問題は別だ。審判の一貫性のなさ(なぜバログンはレッドで、メッシはイエローすら出なかった?)、レッドに不服申し立ての仕組みがないこと、そしてトランプに屈したFIFAの露骨さ。全部がぐちゃぐちゃだ。


あらゆる工程が見事に台無しになった。見直しの末に出した判定が悪い。一発退場と次戦出場停止という罰が重い。不服申し立ての制度が事実上ない。そのくせ、実際にはカードを取り消してすらいない。


FIFAが出場停止を保留するまで、誰もあれをレッドだなんて思っていなかった。みんな都合よく意見を変えているだけだ。


トランプが介入したことには自分も腹が立っている。だが、FIFAがワールドカップのレッドを覆したのは1962年以来なんだ。そっちの方が異常だろう。すべてのレッドは、独立したパネルで再審査されるべきだ。審判は神様じゃない。判定はひどく不安定なんだから。


「ノーファウル」か「一発レッド+次戦出場停止」か。選択肢が実質この二つしかないのが、そもそもおかしいんだ。


競技規則に厳密に照らせば、あのレッドは擁護できると思う。スタッドがアキレス腱に乗っているし、FIFAは意図に関係なく、これをレッドの領域として扱ってきた。ただ、それが最善の判定だったかと言われると、話は別だが。


レッドが正しかったかどうかより、最初の判定でVARの手続きが適切に使われていなかった。だからFIFAの決定は「正しい」んだ。みんなバイアスを捨てた方がいい。自分はこの試合、ベルギーを応援しているくらいなんだから。


結果がどうであれ、今夜の試合は誰かを必ず不機嫌にさせるだろうな。


考察・分析

争点は、判定の当否ではない

レッドカードの当否そのものは、まだ決着していません。元フランス代表のアンリ、元プレミアリーグ主審のクラッテンバーグ、イングランド代表監督のトゥヘルら、立場の異なる専門家が「レッドではない」との見方を示しました。一方で、スタッドが相手のアキレス腱に乗っている以上、近年のFIFAの基準では意図に関わらずレッドになり得るという擁護も成り立ちます。実際にVARを担当した3人はレッドと判断しました。これは「際どい判定」であって「明白な誤審」ではありません。

「判定が正しかったか」に焦点を置く限り、議論は水掛け論にしかなりません。判定が際どいという事実は、むしろ介入の側に「誤審を正しただけだ」という言い分の余地を与えます。しかし、仮に判定が間違っていたとしても、それをどう正すかという手続きの問題は、判定の当否とは切り離して考える必要があります。


問われるのは、合法な裁量の使い方

FIFAの決定は、規程の上では可能な措置です。第27条は実在し、ロナウドの件のように過去にも使われています。この点で「FIFAが違法なことをした」と断じるのは正確ではありません。問題は、合法な裁量が、どのような場面で、誰に対して使われたのかにあります。

第27条の運用は、必ずしも一貫していません。ロナウドの件では、暴力行為による3試合の出場停止のうち2試合分が保護観察に繰り延べられました。一方、同じ時期に予選で同種のレッドを受けた他国の選手には、こうした減免はなかったと報じられています。少なくとも目立つ事例を並べる限り、この裁量はスター選手や存在感の大きい側に恩恵が見えやすい、という傾向は否めません。バログンの件は、そこに「開催国」という要素が加わった形とも読めます。理由の説明を義務づけられていない裁量は、運用する側の一貫性がすべてであり、その一貫性が疑われた瞬間に、制度への信頼は大きく揺らぎます。


「独立」は、誰が署名したかでは決まらない

インファンティノ会長は、決定はFIFAの独立した機関が通常の手続きに従って下したものだと説明しています。書類の上では、そのとおりなのでしょう。しかし「独立」という言葉が意味を持つのは、決定を誰が署名したかだけでなく、その審査を何が動かしたかまで含めて考えたときです。

今回は、外形として、開催国の元首が会長に電話をかけた後に、ほとんど使われない裁量が動き、しかもその理由は公表されていません。電話が決定の直接の原因だったと断定はできません。それでも、政治的な働きかけと処分の変更が時間の上で連続して見える以上、「完全に独立した判断だった」と第三者を納得させるのは難しくなります。ブラッター元会長の「レッドカードは政治的な電話で覆すものではない」という言葉は、この一点を突いたものです。理由を説明しないまま60年ぶりの措置を取れば、説明されない理由こそが本当の理由ではないか、と受け取られても仕方がありません。


なぜ開催国だと、これほど問題になるのか

同じ措置でも、これが第三国の選手を対象にしたものであれば、ここまでの騒ぎにはならなかったはずです。今回の反発の強さは、恩恵を受けたのが開催国・米国の選手であり、審査を求めたのがその開催国の元首だったことに由来します。開催国が判定や処分で有利な扱いを受けているのではないか、という疑いは、ワールドカップの歴史の中で繰り返し向けられてきた、最も古い種類の疑念です。開催国が絡む判定や処分には、通常以上に透明性が求められます。理由を説明しない裁量は、その要求と最も相性が悪いものでした。

なお、米国はこの試合でバログンを起用しながらベルギーに1-4で敗れ、大会を去りました。結果として、勝敗に直接関わる実害の議論は小さくなっています。ただ、もし米国が勝ち進んでいた場合に生じたであろう正統性への問いを思えば、今回はたまたま敗戦が幕を引いたにすぎません。制度の上に残された前例は、試合結果とは関係なく、そのまま残っています。


批判する側も、一貫性を問われる

介入への批判は、UEFAやベルギー、複数の元選手に共通しており、ほぼ一致した反応だと言えます。この批判自体には筋があります。ただし、批判する側もまた、一貫性を問われています。ロナウドが同じ第27条で恩恵を受けたとき、UEFAが同じ強さで声を上げたのか、という指摘がネット上では出ています。

これは「だからUEFAの批判は無効だ」という話ではありません。介入が問題だという結論は、それとは独立して立ちます。ただ、片方の当事者だけを正義の側に置いてしまうと、この問題が持つもう半分、つまり「都合のよいときだけ独立性を持ち出す」という構造を見落とすことになります。FIFAの裁量が疑われているのと同じ理由で、その裁量を批判する側の選択的な沈黙もまた、疑いの対象になり得ます。


総括

敗戦が引いた幕と、残る前例

今回の一件は、米国の敗戦によって、ひとまず静かに幕を下ろしつつあります。バログンは決定的な働きをしないまま、米国は大会を去りました。もし彼が試合を決め、米国が勝ち進んでいたら、この措置の正統性はもっと長く、もっと重く問われ続けたはずです。その意味で、今回の幕引きは半ば偶然によるものです。

しかし、静まったのは騒ぎであって、問題そのものではありません。レッドカードの当否を正面から争う正規のルートがないこと、理由を説明しなくてよい裁量が残っていること、そしてその裁量が政治的な働きかけの後に動いたという前例。これらは、試合の結果とは無関係に、制度の中にそのまま残りました。「今回は誰も勝ち逃げしなかったから、大きな問題にはならなかった」で終わらせてしまえば、同じことが次に起き、しかも今度は誰かが勝ち進んだとき、それを止める仕組みは相変わらず存在しないままです。判定が正しかったかどうかよりも、こうした裁量に誰がどう歯止めをかけるのか。今回の騒動が残した問いは、そちらの方にあるように思います。

それではまた、次回の記事でお会いしましょう。


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今回の記事で扱った「理由の説明を義務づけられていない裁量」という論点は、本書が描くFIFAの体質と地続きです。第27条の運用そのものは今回新しく作られた仕組みではなく、こうした組織文化の延長線上にあることを理解するうえで参考になります。

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今回の記事で扱った「1962年のガリンシャとチリ・ペルー両大統領の介入」は、本書が描く長い歴史の中の一場面にすぎません。開催国の元首がスポーツの判定に関わるという構図が今回に限った出来事ではないことを、通史として押さえておきたい方に向いています。


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