wakatte.TV「福島大には触らせたくない」発言で炎上 偏差値で大学の研究力は測れるのか【海外の反応・解説】

学歴系YouTube「wakatte.TV」が福島大学の動画で「福島大には触らせたくない」と発言し、大学が9月1日に学長名で声明。入試偏差値で研究力は測れるのか、研究所の構成と安全管理の仕組みから検証する。

今回の記事の重要ポイント(三点)

・学歴煽りで知られるYouTubeチャンネル「wakatte.TV」が福島大学の動画で放射能研究について「福島大には触らせたくない」と発言し、大学は9月1日に学長名の声明を出した。

・このチャンネルは、京都大学を中退し学歴の区分では高卒にあたる高田ふーみん氏が学歴至上主義のキャラクターを演じる「皮肉」の建て付けで9年続いてきたが、今回は大学の入試難易度から研究の担い手の能力まで踏み込んだ。

・放射性物質を扱えるかどうかは法令にもとづく許可・登録・監督で決まり、福島大学の研究所は他大学や海外からの研究者で構成されている。学部の入試難易度ひとつで研究力を測る根拠は薄い。


▼この記事は動画でもご覧いただけます

福島大学が学長名で声明、wakatte.TVは動画を削除して謝罪

学歴をテーマにしたYouTubeチャンネル「wakatte.TV」(登録者77万人超)は8月28日、「【入試ラクすぎ?】国公立最下位!?」と題した福島大学のキャンパス訪問動画を公開した。動画内で学生が放射能に関する研究を「福島ならでは」と語ったのに対し、出演者の高田ふーみん氏は、放射能や原子力はエネルギーとして重要な問題だとしたうえで「福島大には触らせたくない」と発言した。

報道によれば、批判が広がると運営側は動画をいったん非公開にし、問題の場面に注意書きのテロップを付けて再公開した。動画は9月1日夕方の時点で再び視聴できなくなっている。

福島大学は9月1日、佐野孝治学長名の声明を公式サイトに掲載した。声明は原子力災害や環境放射能の研究を「福島の経験を科学的に検証し、その成果を国内外に還元していくための重要な研究活動」と位置づけ、学生と教職員が「尊厳を傷つけられることがあってはならない」とした。同時に、特定個人への誹謗中傷を控えるよう求めている。

wakatte.TV側は同日、Xで謝罪文を公表した。「震災や原発事故を揶揄・差別する意図によるものではありません」としつつ、「皆様の志に対する配慮が決定的に不足していた」と述べ、動画の削除と再発防止を表明した。福島大学は弁護士ドットコムニュースの取材に対し、チャンネル側とは連絡を取っておらず、削除要請や抗議は予定していないと回答している。学内での撮影の申請もなかったという。

福島市の馬場雄基市長は9月1日、いわき市の内田広之市長は2日に、それぞれXで動画への遺憾を表明した。

一方、高田氏が社員として所属する学習塾「武田塾」の創業者・林尚弘氏は2日、「偏差値がそこまで高くない大学をいじるつもりなだけ」で悪質に切り取られたとチャンネルを擁護し、別の投稿では「偏差値が低い大学は高度な研究はできないんじゃないかなぁ?」と書いた。この投稿には、福島大学の環境放射能研究所の存在を挙げるコミュニティノート(利用者による補足情報)が付いている。


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学歴煽り芸の建て付けと、福島大学が続けてきた研究

「こんな大人になるな」と掲げた学歴至上主義のキャラクター

wakatte.TVは2017年に始まった街頭インタビュー中心のチャンネルで、通行人や大学構内の学生に出身大学を聞き、入試難易度の序列をネタにする企画で登録者を伸ばしてきました。出演は高田ふーみん氏と、一浪して早稲田大学に入った「びーやま」氏の2人です。

Wikipediaや報道によれば、チャンネルは受験生に「絶対にこんな大人になるなよ」という思いを込めて日本の学歴社会を皮肉る番組と自らを説明し、高田氏は「学歴第一主義のブラックキャラクター」を演じる役回りです。

高田氏本人の経歴が、この建て付けの土台になっています。兵庫県出身の高田氏は京都大学経済学部に現役合格し、2017年4月から休学して10月に武田塾を運営する株式会社A.verに入社、その後中退しました。大学を卒業していないため、学歴の区分では高卒にあたります。学歴を絶対視するキャラクターを演じる本人が最終学歴では高卒である、という構図が、視聴者の側に「芸として見る」余地を作ってきました。

批判は今回が初めてではありません。2020年には広島で会ったパン店の店員に「高卒が作った単純なパン」と発言して批判を受けています。2026年8月3日には九州大学の岡﨑晴輝教授がXで、入試難易度で学生をからかう手法に強い嫌悪感を表明し、590万回以上表示されました。

武田塾創業者の林氏が8月7日に「民間の動画を消せというのか」と反論し、応酬になりました。8月18日には東京都立大学を訪ねた動画で、原子力安全工学系の学科について入試難易度を理由に軽く扱う発言があったと報じられています。


福島大学環境放射能研究所とは

福島大学環境放射能研究所は、福島第一原発事故を受けて2013年7月に設立された研究所です。大量の放射性物質が環境中に放出された事故の解決と、科学的な知見を国内外で共有することを設置の目的に掲げています。5部門15分野の体制で、環境放射能学を専攻する大学院(博士前期・後期課程)としては世界初とされます。

研究の中身は、原子炉や核燃料を扱う原子力工学とは別の分野です。森林や河川、河口、海に放出された放射性セシウムがどう移動して、樹木や魚にどう蓄積するかを追う「環境放射能」の研究が中心で、チェルノブイリ事故との比較も行われています。2026年6月には、博士後期課程の学生を筆頭著者とする松川浦(福島県相馬市の潟湖)の海水中セシウム濃度の変動要因の研究が公表されました。

研究所の人員は、福島大学の学部を出た人だけで構成されているわけではありません。副所長の一人は長崎大学の高村昇教授が兼務し、教員にはウクライナやアルジェリア、ナイジェリア出身の研究者が名を連ねています。

広島大学、長崎大学、日本原子力研究開発機構、フランスの原子力安全・放射線防護研究所、米コロラド州立大学などと協定を結び、2026年7月13日には国際原子力機関(IAEA)の部門長らを講師に招いた特別セミナーを開いています。


放射性物質を扱う資格は、法律と登録で決まる

大学で放射性物質を扱えるかどうかは、放射性同位元素等の規制に関する法律(RI規制法)にもとづく原子力規制委員会の許可で決まります。使用者は国家資格を持つ放射線取扱主任者を選任し、施設の基準、管理区域の設定、線量の測定、教育訓練、健康診断の義務を負い、規制委員会の立入検査を受けます。

福島大学はこの枠組みを「放射線障害予防規程」として学内規則にしています。管理区域に立ち入る人は放射線業務従事者として登録し、健康診断で問題がないと判定されてから登録されます。実験は計画書を提出して承認を受け、教育訓練は1年ごと、健康診断は6か月ごとに繰り返します。

規程に違反したり取扱いの能力が足りないと判断された人は、登録の取消しや一時停止の対象です。盗難や異常な漏えいがあれば、規制委員会に直ちに報告する義務があります。

なお、動画のタイトルにあった「国公立最下位」を裏づける公的な指標はありません。偏差値は予備校ごとの模試を受けた集団の中での相対的な位置を示す私的な指標で、河合塾の2027年度入試予想では福島大学のボーダー偏差値は学部ごとに40.0〜50.0の幅にあります。


海外の反応

今回の騒動を扱ったRedditのスレッドは、日本語圏の掲示板r/newsokuexpに立った1本だけでした。東京スポーツの記事をもとに9月2日に立ち、コメントは13件と小規模です。

論調はほぼ批判一色で、「意図はなかった」という釈明で免責されるものではないという声と、非公開にした動画をテロップ付きで再公開した対応への不信が上位を占めています。作る側だけでなく見る側の品性まで含めて問う意見、「大学入試は高卒時点の学力でしかなく、誇るなら研究成果で勝負しろ」という指摘、主な視聴者が高校生であることへの懸念も出ていました。出演者2人のうち片方が「京大中退で高卒」だという指摘もあり、擁護のコメントは見当たりません。

英語圏で今回の騒動そのものを扱ったスレッドは、9月3日時点では確認できません。一方、日本の大学の序列や入試難易度が「そこにいる人の能力」を示すのかどうかは、Reddit上で以前から繰り返し議論されてきたテーマです。

まず、2026年4月にr/japannewsに立った「日本の名門大学に入ることは天才であることを意味しない」というスレッドです。名門大学でも一般入試以外の入学経路が多いことから、大学名で個人の能力を判定できるのかが議論されています。

以下はスレッド内のユーザーコメントの抜粋・翻訳です。


理系だと、みんな指導教員に言われたことをやってるだけに見える。修士どころか博士の学生に「なんでそのテーマを選んだの」と聞いても答えが返ってこない。ただ与えられただけなんだ。


変な話なんだよな。俺がいた研究室では、自分でテーマを提案したいと言ったら先生が大喜びしてた。少なくともうちの研究室に関しては、先生側の悪意ですらない。学生の側の、なんとも言えない無気力なんだ。


どんな環境でも伸びる、飛び抜けてやる気のある上位5パーセントは必ずいる。日本の研究設備自体は悪くないと思う。


それは世界中どこでも同じようなものだ。大学の入試のほうが、入ってから実際に学ぶことよりずっと難しい。

教育制度がそういう作りになっている。良し悪しは正直判断がつかない。結局のところ今の世の中、たいていのことは独学できる。学位は自分の能力の証明ではあっても、それが最終目的だったことは一度もない。


俺の出身国は推薦も試験も金で入る枠も全部混ざっているが、それでも上位大学に行くには全員共通の公平な試験を通るしかない。応募者が多すぎて、他校の推薦文だけで人を公平に評価するのは無理だからだ。日本も結局は同じことだろう。

つまるところ、学校が学生を優秀にしているわけじゃない。優秀な学生を集めているだけだ。学位に価値がないとは言わない。人生の中で大きな学びの段階なのは間違いない。ただ、どの分野を学んだかと、どの教員に出会ったかのほうが、学校の名前よりはるかに重要だ。


名門とされる女子大で1年教えたが、その通りだと言える。学生の多くが、系列の高校に入ることで実質的に入学を確約させていたと知った。裕福であることがそのまま楽な入学につながっていて、それは授業を見ていれば分かった。とはいえ、私のクラスの学生は少なくとも努力していたし、態度も悪くなかった。


ものすごい名門私大で教えている知り合いがいる。有名人の子どもが本当にたくさんいる大学だ。一般入試で好成績を取って入ってくる普通の学生は全体の中では少数派で、その少数が、金で入ってきた大勢の学生の隠れ蓑になっている。

名門大学を見るときは、一般入試で入った学生の割合を本当に確認したほうがいい。


東大ですら似たことをやっている。「傑出した」経歴の持ち主向けに試験免除の大学院枠があるが、その「傑出した」の基準を聞いても客観性がまるでない。事実上、誰にでも出せてしまう。


友人はデータ分析の仕事をしているが、新しく採った人材が東大卒だった。評判も本人の自信もすごかったのに、始まってみると一人では何もできず、試用期間が終わる前に切られてしまった。学校の評判で採用することのばかばかしさに、採用側がもっと気づいてくれるといい。


阪大で理系の講義を20年近くやっている者だ。うちの学部生は死ぬほど働かされている。楽な道では断じてない。ただ、日本国内では誰も学生の成績など気にしない。雇う側にとっては阪大を生き延びたという事実だけで十分なのだ。

大学ごと、課程ごとに事情はまるで違う。この国には高等教育機関が600以上あるのだから。このスレッドは、限られた情報からの一般化と外挿が多すぎる。


次は、2020年にr/movingtojapanに立った「日本のランクの低い大学に行くことをどう思うか」というスレッドです。日本社会では大学の格が重いという意見と、大学の序列と教育の質は同じものなのかという議論が並んでいます。

以下はスレッド内のユーザーコメントの抜粋・翻訳です。


だったら価値はあまりないと思う。日本の大学は教育のためというより学位のためのものだから。それに日本の学位は、日本の外ではそこまで評価されない。


私は日本で最高峰の一つとされる京都大学に1学期いたが、教育の中身はヨーロッパにいた頃の中堅大学より劣ると感じた。

英語で行うプログラムだったことは差し引く必要がある。ただ他の学生に聞いてみても、日本の大学は結局「入るのがどれだけ大変か」で決まるという答えが返ってきた。入試さえ通れば、就職するまでの3年間は休憩期間になる。


大学名が就職にどれだけ効くかで言えば、京大は日本の大半の大学よりずっと強い。教え方自体はもっと良い大学もあるのに、だ。日本の外で職を探すなら、向こうは日本の大学の名前をいくつかしか知らないのだから、なおさらそうなる。


日本の大学の力学として、有名大学が雇う側から「良い」とされるのは、そこに集まる学生全体の質のせいであって、受ける教育の質のせいではない。

日本の教育は「偏差値」という指標に支配されている。学部や大学の水準を示す標準化された点数のことだ。京大なら医学部が72、他の学部が63前後。平均が50なので、72は平均をはるかに上回る。要するに、そこにいる人間が学力的にどれだけ優秀かを示している。有名大学が誰の目にも良く見えるのは、全体として偏差値が高いからだ。

では教育の質はどう確かめるか。教育の質を本当に確かめたいなら、自分が学びたい教員を探すことだ。あるいは国公立大学の課程を探すのもいい。


偏差値40から42ならかなりまともだ(50が平均)。私の親友は偏差値40から43の大学の看護課程に行って、後に看護師になった。

私たちが見ているのは、課程そのものの質というより、学生層の質やまともさ、そしてその数年で築ける人間関係のほうだ。名門でないからといって評判が悪いということにはならない。単に受け入れが広く、奨学金なども出しやすいというだけのことだ。


最後は、2022年にr/japanに立った「日本の受験地獄はアジアの他の国と比べてどれほど厳しいのか」というスレッドです。良い学校から良い大学、良い企業へという序列が日本でどこまで機能しているのかを、海外ユーザーが比較しています。

以下はスレッド内のユーザーコメントの抜粋・翻訳です。


欧米と比べれば大変だが、アジアの他の国ほどではないと思う。韓国の修学能力試験(大学入試の共通試験)については記録映像がいくつもあって、それを見ると香港やシンガポールの試験が楽に見えてくる。日本はこの中で一番ましだと言われている。中国の高考(全国統一の大学入試)は、そもそも競争相手の人口の多さが容赦ない。

それに日本の大学は、入ってしまえばほとんど遊びと交友で、勉強はあまりしない。日本は若年層が急速に減っているので、競争相手が減るぶん楽になっている。


大学入試に本当に人生を捧げるような人間は、たいてい大学に入ってからも努力を続けて、研究職や割のいい業界に進む。大半の人は入試の数か月前だけ詰め込んで、大学では手を抜くというだけの話。


上位大学に行くには良い点を取る必要がある。それは分かる。ただ、それらの大学の一部には裏口もある。系列の高校から上がるといった形だ。他の大学も、自分たちの格に合わせて試験の難度を調整している。

問題は、日本には大学が多すぎて、18歳から23歳の日本人が少なすぎることだ。人口減少の結果、試験は軟化した。中堅どころの大学でさえ学生の質は落ちている。


相対的な競争の激しさはおそらく同程度だろう。絶対的な学力水準は香港や中国、シンガポールのほうが高いにしても。

ただ、塾を勘定に入れると、日本の生徒が学校的な場で過ごす時間はほぼどの国より長いと思う。アジアには、試験が進路を決定的に左右してきた長い歴史がある。


偏差値で大学の研究力は測れるのか

「本人も高卒」の自虐装置が、今回は働かなかった

wakatte.TVの学歴煽りには、煽る本人が学歴の区分では高卒だという逃げ道が常にありました。「高卒はダメだ」と言う人物が高卒である。この構図がある間は、視聴者は序列を笑う本人ごと笑うことができ、悪趣味ではあっても学歴社会そのものを戯画にした芸として受け取る余地の一つになっていました。

今回はその装置が外れています。京都大学に合格した人物が、福島大学で研究に携わる人たちの専門性を否定した形になり、「お前も高卒だろ」という返しは意味を持ちません。煽りの対象が「大学名」から「その大学でどんな研究ができるか」に移ったことで、笑いの構造ごと変わりました。

福島大学の一件だけが突然の失言だったわけでもありません。8月上旬には、入試難易度を基準に学生をからかう手法そのものを九州大学の教授が批判し、武田塾創業者が反論する応酬がXで起きていました。その後の8月18日には東京都立大学の動画で、原子力安全工学系の学科を入試難易度を理由に軽く扱う発言があったと報じられています。手法への批判が出た後も、学問分野そのものを値踏みする場面が続いていたことになります。


危険を伴う研究の担い手に能力を求める問いには筋がある

擁護する側の主張を一番強い形にすると、放射線や原子力は失敗すれば社会に影響が及ぶ分野であり、それを扱う研究者や組織には相応の能力を求めるべきだ、という問いになります。武田塾創業者の林氏は「偏差値が低い大学は高度な研究はできないんじゃないか」と書き、「偏差値が低い国公立大学は補助金の割合を低くして欲しい」とも投稿しました。

この問い自体はおかしくありません。法令で規制される危険物を誰にでも自由に扱わせる国はなく、扱う主体に能力の裏づけを求めるのは当然の発想です。優秀な学生や研究者、研究費が有力大学に集まりやすいことも事実で、入試の選抜と研究力に一定の相関があり得るという指摘には根拠があります。研究費の配分についても、成果に応じて傾斜をつけるべきだという考え方には一定の支持があります。

実際、国立大学の運営費交付金は2026年度も1000億円分が「成果を中心とする実績状況に基づく配分」として、教員あたりの研究業績数や科研費の獲得額、若手研究者の比率など11の指標で75〜125%の傾斜をつけて配られています。

「能力を厳しく見るべきだ」という問題意識そのものを差別だと切って捨てるのは、雑な反論です。争点はその先にあります。能力を測る物差しとして、大学の入試偏差値を使えるのかどうかです。交付金の11の指標には、入試難易度に関するものは一つも入っていません。


学部の入試難易度から研究組織の能力へ、推論はどこで飛ぶか

高田氏や林氏の発言を推論の形にすると、「福島大学は入試偏差値が高くない」から「学生の平均的な学力は東大や京大より低い」、だから「高度な研究を行う能力も低い」、だから「重要な分野は任せられない」という4段になります。最初の2段は、偏差値という指標の性質からして無理のない話です。

飛躍があるのは3段目です。大学の研究を担うのは、その年に入試を通った18歳ではありません。博士課程を終えた研究者や他の大学・研究機関から来た研究者、専門の技術職員で構成されます。

福島大学環境放射能研究所の場合、副所長を長崎大学の教授が兼務し、教員にはウクライナやアルジェリア、ナイジェリア出身の研究者がいます。大学院生も研究の担い手ではありますが、学部の入試を通った層と研究所の研究者集団は一致せず、外部から採用された研究者が多くを占めます。

一方で、「偏差値と研究力は一切関係ない」と言い切るのも極端です。東大や京大が総合的な研究力で強いことは否定しにくい事実です。相関があり得ることと、特定の大学の特定の研究分野を偏差値だけで否定できることは、別の話です。「東大の学生の平均学力は福島大より高い」から「福島の環境放射能研究も東大の方が優れている」は、自動的には導けません。


研究力と安全管理は、別の物差しで測る

高田氏の「触らせたくない」を本気で検証するなら、見るべきものは3つに分かれます。研究成果が出ているか、放射性物質の安全管理ができているか、過去に重大な事故や不祥事があったか。この3つは別々の問いで、世界的な研究者でも安全管理がずさんなら危険であり、画期的な論文を出せない機関でも規則どおりに放射性物質を扱うことはできます。

研究成果については、研究所は2013年の設立以来、環境中のセシウムの移動や魚類への蓄積について論文を出し続け、IAEAやフランス、ベルギー、米国の研究機関と協定を結んでいます。

安全管理については、放射線取扱主任者の選任、従事者の登録と健康診断、実験計画の事前承認、規制委員会への報告義務が規程で定められ、能力が足りない従事者の登録を取り消す条項まであります。重大事故や不祥事は、公表資料の範囲では見当たりません。

制度の考え方は「偏差値が高いから扱える」ではありません。「人・設備・手順・監督体制が法令の基準を満たしているから扱える」です。許可があることは研究の質の証明にはならず、論文や協定の存在も研究所が優れていることを直接示すものではありません。それでも、この3点のどれにも問題が示されていない以上、入試偏差値を根拠に「触らせたくない」と言う側に、根拠を示す責任が残ります。


福島という場所の重みと、謝罪文が語らなかった「本来の意図」

「福島を差別した」「震災を馬鹿にした」と本人の意図まで断定する必要はありません。wakatte.TV側は震災や原発事故を揶揄する意図を否定しており、動画を通して見た視聴者の中には「馬鹿にしていたのは偏差値で、被災地ではなかった」と受け取る人もいます。

それでも結果として、原発事故の被災地、事故後15年間その研究を続けてきた地元の大学、「放射能」という言葉、「触らせたくない」という言い回しが一つの画面に重なりました。

福島市長といわき市長が相次いで反応し、いわき市長は自身が福島大学の理事・事務局長を務めた経験を明かしたうえで遺憾を表明しています。「MARCH(明治・青山学院・立教・中央・法政)は低学歴」といった従来のネタとは、社会的な文脈がまるで違いました。

批判の側にも、行き過ぎと見られる部分があります。九州大学の教授はチャンネルの閉鎖を検討するよう求めましたが、不適切な一言を理由に番組そのものを消せという要求には、表現の自由の観点から反論の余地があります。大学の声明が誹謗中傷の自粛を併せて求めたのも、批判が別の攻撃に転じる懸念があったからです。

謝罪文には「言葉足らずな表現により意図とは異なる形で多くの方に伝わってしまった」とあります。震災を馬鹿にする意図はなかった、という部分は分かります。

ただ、では「福島大には触らせたくない」と思った本来の意図は何だったのかについて、説明は薄いままです。もしその意図が「重要な研究だから優秀な大学に任せるべきだ」だったのなら、まさに偏差値と研究力の関係が問われることになり、その検証には耐えにくい主張だったことになります。


「一切関係ない」と「武田塾の若手」の間

高田氏は単なるYouTuberではなく、武田塾を運営する株式会社A.verの社員として、武田塾全体の広報や指導の質の向上を担当している人物です。2017年9月に本人が書いたブログには、番組名は「武田塾の『若手』と『わかって』をかけて」付けたと記されています。

2026年4月にはA.verが公式プレスリリースで、自社が協賛する野球イベント「武田塾DAY」に「wakatte.TV」の高田氏が登場すると宣伝しました。

一方で、動画には「武田塾および株式会社A.verとは一切関係ございません」という趣旨の注意書きが表示されていると伝えられています。チャンネルをA.verが所有・運営していない、という意味であれば、この表示は事実と両立します。wakatte.TVが武田塾の番組だと断定する材料もありません。

それでも、中心人物が運営会社の社員で、番組名が武田塾に由来し、会社側も宣伝に使っている以上、企業としての評判と完全に切り離すことは難しい状態です。九州大学の教授による8月の批判でも、この関係が問題視されていました。教育事業に携わる人物が、受験生の学歴への不安や序列を娯楽にすることをどう評価するか。これは今回の一件にとどまらず、このチャンネルの成り立ちそのものに関わる問いです。


過激さが再生数に変わる仕組み

学歴煽りが9年間続いた背景には、視聴者の学歴コンプレックスを刺激するほど動画が伸びやすい仕組みがあります。YouTubeの広告収益は再生回数と視聴時間に連動し、過激な一言ほど切り抜かれて拡散しやすくなります。企画は回を重ねるほど強い言葉を求められやすく、「国公立最下位」というタイトルもその延長にあったと見ることができます。

この仕組みは供給側だけで動いているわけではありません。「いつも通りのボケ」として楽しんできた視聴者がいて、本人も「お前も高卒だろ」というツッコミを織り込んだうえで芸を組み立ててきました。需要があるから成立していたコンテンツであり、作り手だけを責めても構図は変わりません。

同じ動機は、無断撮影や営業妨害で問題になる、いわゆる迷惑系の配信者にも共通しています。同意のうえの街頭インタビューという点でwakatte.TVは迷惑系とは別物ですが、「過激さが収益になる」という経済的な動機は同じです。この動機が働くかぎり、煽りの対象は大学名から学部へ、学部から研究分野へと、より重いものへ移りやすくなります。


一本の物差しが届かない場所

入試の難しさは、研究の実力を測る道具ではなかった

高度で危険を伴う研究を誰に任せるべきか、という問い自体には合理性があります。大学の入試難易度と、そこに集まる人材の能力が完全に無関係とも言えません。

それでも、福島大学が実際に行っている環境放射能の研究、法令にもとづく安全管理の体制、国内外との共同研究、13年分の研究活動を検討せずに、偏差値だけから「触らせたくない」と結論づける根拠は足りていません。研究所が優れていると証明する必要はなく、偏差値だけで否定できない反例が一つあれば、この物差しの限界は示せます。

今回の炎上は、不謹慎な一言だけの問題ではありませんでした。wakatte.TVが9年間使ってきた「偏差値という一本の物差し」を、大学の研究という別の領域に持ち込んだとき、その物差しが届かない場所があることが露わになった出来事です。

入試の難易度と研究の実力を同一視する誤りは、この件に限りません。大学ランキングの読み方、運営費交付金の傾斜配分、大学無償化の対象校の選び方など、これからも形を変えて繰り返し出てくる論点です。

偏差値が測っているのは「18歳の時点で、模試を受けた集団の中でどの位置にいたか」であり、そこから先の実力は別の物差しで測るしかありません。その物差しを持たないまま序列だけで語ることの危うさを、今回の一件は示しています。

それではまた、次回の記事でお会いしましょう。

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関連書籍紹介

『大学とは何か』

吉見俊哉(岩波書店/2011年07月刊)

大学という組織が何をする場所として生まれ、どう変わってきたのかを歴史でたどった新書です。中世ヨーロッパでの誕生から、近代の国民国家による再生、明治日本への移植、そして戦後の再編までを「知のメディア」という一本の視点でつなぎ、大学の理念を組み立て直そうとしています。入試や就職の話から入らず、大学そのものを主語にして書かれているところが特徴です。

今回の記事で扱った「入試の難易度で大学の研究力を測れるのか」という問いは、そもそも大学が何のための機関なのかを決めないと答えが出ません。この本を読むと、研究と教育という二つの機能が歴史のどの局面で結びつき、どこで緊張してきたのかが型として見えてきます。大学ランキングや交付金の傾斜配分といったニュースを、序列の話ではなく制度の話として読み直したい方に向く一冊です。


『日本のメリトクラシー 増補版 構造と心性』

竹内洋(東京大学出版会/2016年12月刊)

戦後の日本で、人々が受験・就職・昇進の競争になぜこれほど強く動機づけられてきたのかを、教育社会学の立場から理論と実証データで解いた研究書です。競争を煽る仕組みと、その中で作られる人間像を「マス・ディスタンクシオン・ゲーム」という概念で扱っています。原著は1995年で、増補版は2016年の刊行です。

今回の記事で扱った学歴煽りというフォーマットは、視聴者の側に学歴への強い感情がなければ成立しません。この本は、その感情がどんな社会構造から生まれたのかを、個人の心がけではなく仕組みとして説明します。学歴コンプレックスを笑うコンテンツが9年続いた背景を、供給側の悪意ではなく需要の側から考えたい方に向きます。読み通すには骨のある研究書ですが、日本の序列意識を扱う議論では今も参照され続けている一冊です。


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せかはん

国内外のニュースを「報道・海外の反応・背景解説」の三層で読み解く個人メディア『せかはん』運営者。2025年8月の開始から1年で300本以上を執筆し、noteフォロワーは2万人。特定の政党・組織に属さず、一次ソースの照合と左右両論の併記を編集の基本にしています。

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