茨城・鉾田と新潟・角田浜で相次いだ水難事故 「危険に見えない水辺」でなぜ人は溺れるのか【海外の反応・解説】

2026年8月、海と川で水難事故が相次ぎました。波高30センチの海でフロートが流され、川では息子を助けに入った父親が亡くなっています。離岸流と、船では義務なのに水辺では習慣にならないライフジャケットの現在地を解説します。

今回の記事の重要ポイント(三点)

・2026年8月上旬、茨城の海岸、愛知の川、新潟の海水浴場付近で、水難による死亡事故が相次いだ。

・警察庁の集計では、夏期の水難による死者・行方不明者の44.8%を65歳以上が占め、行為別では釣り中が最も多い。

・水辺では見た目の安全と実際の危険がずれるため、守りは泳力ではなく事前に重ねた備えで決まるが、船で義務化されたライフジャケットは水辺では制度にも習慣にもなっていない。


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海と川で相次いだ死亡事故

2026年8月9日正午ごろ、茨城県鉾田市上沢の海岸で、遊泳していた女性3人が波にのまれた。23歳の女性が搬送先で死亡し、24歳の女性は8月10日時点で重体と報じられている。現場は海水浴場ではなく、離岸流が発生しやすいヘッドランド(人工岬)の付近だった。

その前日の8月8日には、愛知県東栄町の鴨山川で、家族3人で川遊びをしていた40歳の男性が死亡した。小学6年の息子が溺れたため助けようとして溺れたと、警察は説明している。息子は母親に救助され無事だった。川の深さは最深部で2メートル程度で、3人ともライフジャケットを着けていなかった。

8月10日午前には、新潟市西蒲区の角田浜海水浴場付近で、フロート(水に浮かべる遊具)で遊んでいた父子3人が波にあおられて落水した。13歳の娘と8歳の息子が死亡した。3人は救命胴衣を着用していなかった。当時の波の高さは30センチ程度だった一方、朝から遊泳注意報が出ていたと報じられている。日本テレビは、8月10日の1日だけで全国5人が死亡したと報じた。

警察庁のまとめでは、2025年夏期(7〜8月)の水難は発生446件、水難者535人、うち死者・行方不明者は241人だった(2025年9月発表の速報値)。同庁は、過去5年間の夏期の発生状況について概ね横ばいだとしている。


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統計と、水辺に隠れている力

夏の水難で亡くなる人は、遊泳中の子どもだけではない

夏の水難で亡くなる人の像は、「泳げない子どもの事故」というイメージからかなり離れています。

警察庁の2025年夏期の集計では、死者・行方不明者241人の行為別で最も多いのは魚とり・釣りで、52人(21.6%)でした。年齢層別では65歳以上が44.8%を占めます。場所別では海が47.3%、河川が39.0%です。釣り中の事故がなぜ多いのかは、活動人口などの分母が示されていないため、この統計だけでは分かりません。

子どもについては、通年の統計で見ると河川の比重が大きくなります。2024年の中学生以下の死者・行方不明者28人のうち、河川が18人でした。2025年の夏期に限れば海が河川を上回っており、年や季節の切り取り方で順位が入れ替わる程度の差でもあります。

発生446件に対して、水難者は535人でした。「水難者」は無事救出された人を含む、事故に遭った人の総数を指します。件数より人数が多いのは、1件で複数人が巻き込まれる事故があるためです。愛知や新潟の事故も、複数人が同時に巻き込まれた形でした。

過去5年の夏期の推移は次のとおりです。

夏期(7〜8月)2021年2022年2023年2024年2025年
発生件数451459453488446
水難者565638568601535
死者・行方不明者212228236242241

出典は警察庁「令和7年夏期における水難の概況」(2025年9月発表・速報値)です。同庁はこの推移を「概ね横ばい」と説明しています。


浅い川と、波の低い海に共通する力

水辺の危険は、水深や波の高さといった目に見える指標とは別のところにあります。

2026年8月10日には、秋田県北秋田市でアユ釣り中の70歳の男性が川で転倒して流され、約200メートル下流で救助されたものの死亡しました。水深は約1メートルでした。流れの中では、いったん転ぶと立て直すことが難しくなります。

警察庁は、上流で雨が降っているなど河川の増水のおそれが高いときには、釣りや水泳、中洲や河原でのバーベキューを行わないよう呼びかけています。現在地が晴れていても、川の水位は上流の天気で決まります。

海の側で同じ働きをするのが離岸流です。海上保安庁の解説では、幅は10メートルから30メートルほど、速さは秒速1〜2メートル以上で、河川の急流と同じ速さにあたるとされます。大人でも膝付近まで浸かると、簡単に足をすくわれます。

海上保安庁の案内の中心は、流れに逆らって岸へ泳ぎ戻ろうとしないことです。泳げる場合は岸と平行に泳いで流れの外へ出る、難しければ無理に泳がず楽な姿勢で浮いて救助を待つ。どちらが適切かは、流れの形やそのときの体力で変わります。

鉾田の事故現場にあったヘッドランドは、砂浜の流出を防ぐために造られた人工岬です。海上保安庁鹿島海上保安署の解説教材は、ヘッドランド周辺での離岸流による事故が一般の海岸に比べ6倍に及ぶとしています。

同じ教材は「ヘッドランドの魔性性」という小見出しを立て、内側の砂浜が「小さなプライベートビーチの様で、一見、子供の砂遊び場に最適と思われがち」だと書いています。茨城県は、ヘッドランド周辺を立入禁止・遊泳禁止としています。


溺れる人が静かに沈むことと、浮き輪の限界

溺れている人は、静かに沈んでいくことがあります。

この認識の出発点は1970年代の米国にあります。ライフガード出身の研究者Francesco A. Piaが実際の溺水の映像を分析し、本能的な溺水行動として1971年の教育映画と1974年の論文にまとめたとされます。2010年には元米沿岸警備隊のレスキュースイマーMario Vittoneが一般向けに解説し、広く知られるようになりました。

激しくもがく溺れ方ももちろんあります。それでも、声も水しぶきもないまま沈む形が現実にある。この一点を知っているかどうかが、監視の仕方を変えます。

日本では、こども家庭庁が「溺れるとき、こどもは声を出さず、静かに沈む」と明記しています。同庁は、大人が目を離さず、手の届く範囲で見守るよう呼びかけています。

だから監視は、耳ではなく目で行うものになります。複数の家族で水辺に行くときは、誰が見張り役かを先に決めておく。この性質への、いちばん単純な備えです。

浮き輪やフロートは遊具であり、救命具ではありません。手を離せば浮力は失われ、風や流れがあれば体から離れていきます。角田浜の事故も、フロートが波に流されたことが発端でした。

ライフジャケットは、体そのものに浮力を持たせる装備です。警察庁が「体のサイズに合った物を選び、正しく着用する」と条件を添えているのは、着けてさえいればよい装備ではないためです。


海外の反応

助けに入った親が犠牲になる事故は、海外でも起きています。2026年4月、米フロリダ州ジュノビーチで、離岸流に巻き込まれた12歳の息子と9歳の娘を救った父親が命を落としました。この事故を伝えるRedditのr/newsのスレッドは、約2万の賛意(upvote)と1000件を超えるコメントを集めました。

目立ったのは追悼の言葉よりも、離岸流そのものの解説でした。最上位のコメントは米海洋大気庁(NOAA)のページを引きながら「岸に向かって泳がず、岸と平行に泳いで流れから出る」という定石を説明し、その下に体験談と補足が積み上がっています。

一方で、その定石に対する留保も同じスレッドの中に並んでいます。知識があっても実際の海では気づけない、子どもを抱えていれば平行に泳ぐどころではない、助けに入る側が二次的に巻き込まれる。事故そのものへの反応から、知識の共有、そして「知識と実行の間にある距離」へと、話題が自然に移っていきました。

以下はスレッド内のユーザーコメントの抜粋・翻訳です。


離岸流というのは、岸の近くから始まって、波が砕ける線の向こうまで沖へ伸びていく、幅の狭い速い流れの水路のことを指す。

もし巻き込まれたら、いちばんいいのは落ち着くこと。水中に引きずり込まれるわけじゃない。ただ岸から離れる方向に運ばれるだけ。

助けを呼んで手を振る。体を浮かせて、岸に向かって流れに逆らって泳ごうとしないこと。消耗するだけだから。岸と平行に、浜に沿って泳いで流れから抜け、それから砕ける波に乗って斜めに岸へ戻る。


ひとりで行かない、明るい色を着る、ライフジャケットは必須の安全装備、入る前に海の状況を調べる。


水着の色は救助には関係ない。岸から人の居場所を見つけるときに見えているのは水面から出ている部分、たいていは頭だけ。


でも、そこに至る前の段階を防げるんじゃないか(たとえば、明るい色のものが本来より沖へ動いているのに早い段階で気づける、とか)。

救助が始まってからは色が関係なくても、その前には役に立つように思える。


短く言えば、浜と流れの形による。

平行に泳げば離岸流の帯から出られて岸に泳ぎ着ける浜もある。それが定石として言われていることだ。

最近の研究では、そういう性質を持たない浜も同じくらい多くて、平行に泳ぐのは体力の無駄で、可能なら浮いたまま救助を待ったほうがいい場合がある。

流れが円を描いて循環する形の浜もあって、その場合は平行に泳いでも五分五分で逆効果になる。浮いていればいずれ岸のほうへ回してくれる。

だから一貫して言えるのは、浮いたままでいること、溺れないこと、そして自分が海に入っていることを誰かが知っていて助けを呼びに行けるようにしておくこと。


ミシガン湖の近くに家族がいる。あそこは実質、内陸の海のようなもの。離岸流には「flip, float and follow(仰向けになって、浮いて、流れに従う)」と教わる。

五大湖にもひどい離岸流がある。みんなあそこをプールみたいに扱うんだ。

flip, float and follow

ご家族のことを思うと胸が痛む。


フロリダで育ったから、こういうものについて教わったし、どう対応するかも知っていた。

どれだけ多くの人がこれを知らないか、対処法を知らないかに、いつも驚かされる。


いや、フロリダや海の近くで育たなかった人間が知らないのは、驚くようなことじゃないだろう。それに、対処法を知っていることと、危険な状況で落ち着いていられること、しかも子ども連れで、というのは別の話だ。


フロリダで育って、離岸流のことは全部教わっていたのに、16歳のときに危うく溺れかけた。何が起きているのか分からなかったからだ。岸に向かって泳ごうとしてずいぶん体力を使ってから、まったく進んでいないことにやっと気づいた。その前にずっと波打ち際まで泳いで戻ったり体で波に乗ったりして遊んでいたから、沖に引かれているから必死なのではなく、楽しいから必死なんだと思い込んでいた。

気づいたら急に消耗しきっていた。プールでも海でも子どもの頃からずっと泳いでいて、泳ぎには自信があったのに。仰向けになって体力を戻そうとしたが、それすら難しい。平行に泳ぎ始めたけれど筋肉は悲鳴を上げていて、けいれんし始めていた。運よく流れの外縁あたりにいたらしく、なんとか横に進めて、波に押されて足の立つところまで来られた。気づいた友人が来て、残りを助けてくれた。

言いたいのは、危険を知っていても、実際に起きていることに気づけるとは限らない、手遅れになるまで、ということ。


離岸流は恐ろしい。巻き込まれたら岸と平行に泳いで抜けろ、と言われる。

でも、たとえ彼がそれを知っていたとしても、一緒にいたのは、泳ぎが得意かどうかも分からない子ども2人。数秒で判断しなければならず、彼は一刻も早く2人を流れから出して浜に戻すほうを選んだ。あまりに痛ましいし、自分が同じ状況にいることを想像すると身がすくむ。


何かを抱えて泳いだことがある人なら分かる。まして自分のパニックになった子どもを抱えてなんて、どれだけ泳ぎが達者でもどれほど大変か。


昔、子ども3人が水に入る前にカメラを置いて撮っていた動画を見たことがある。思ったより深くて、最初のひとりが溺れ始めたとき、パニックで他の子まで一緒に引きずり込んでしまった。

訓練を受けていない人が救助に入るなと言われるのには理由がある。溺れてパニックになった人は、ほぼ確実に誰かを道連れにするからだ。


それはその通りだけど、自分があの人の立場でも同じ選択をしたと思う。自分の子どもを追いかけないなんて、絶対にありえない。そして結果として、自分の命と引き換えに彼は子どもたちを助けきったわけだ。


ここのコメントは彼を批判する方向に寄っているものが多い。「沖に運ばれるだけなんだから、岸と平行に泳げばいい、水中に引きずり込まれるわけじゃない」と。

ああ、泳ぎの強い人には最高の助言だろうね。子どもを頭の上に持ち上げながら泳ぐ話となると、少し事情が違う。


知っていても、巻き込まれた瞬間にそれが何なのか分からない、というのもよくある。経験のある人が離岸流で消耗していくのも見たことがある。流れの強さには差があるし、思っていたよりずっと沖まで運ばれてパニックになる人もいる。


「岸と平行に泳げばいい」とソファに座って言う人たちには本当にうんざりする。実際に巻き込まれたことがあれば分かるが、あれは消耗するし、いつでも簡単に抜けられるわけじゃない。私の叔父はその助言どおりにしたのに危うく死にかけて、ジェットスキーに助けられた。平行に泳げるところまで来る前に、とんでもなく沖まで運ばれることがあるんだ。そこから岸まで全部泳いで戻らないといけない。


私は親ではないけれど、幼い甥や姪のいるおばとして言いたい。海辺で子どもの面倒を見る人は、自分用の浮力の助けを必ず持ってほしい。

ボディボードでも浮き輪でもだめだ。あの規模の自然を相手にしているときに、格好をつける必要はない。必要なのは、体にしっかり固定されていて波で簡単に失わない予備の安全装置だ。

だから姪たちにはベストを着せているし、私自身も腰に留めるフロートベルトを着けている。泳ぎには自信があるし、長年ライフガードもやっていた。それでも、開けた水域で他人を支える必要があるとき、その技術だけを頼りにすることは絶対にしない。


旗が黄色でも安全という意味ではない、ということを思い出させてくれる。黄色は「中程度の危険」を意味する。

フロリダのパンハンドル近くの海沿いに住んでいるが、ほぼ毎年、水辺の子どもから目を離さないでくれと親に怒鳴っている。冗談で言っているわけでも、休暇を台無しにしたくて言っているわけでもない。いちばん泳ぎの強い人でも持っていかれる。今回の父親のように。


ニュージャージーの海辺で育って、今はフロリダに住んでいる。お願いだから、水の中の子どもから一瞬も目を離さないでほしい。水際に立っていてほしい。30メートル離れたシートの上でスマホを見ていないで。子どもは本当にあっという間に流される。プールで泳ぎが得意でも、海では何の意味もない。全部正しくやっていても、波に倒されたり沖に運ばれたりする。

監視のない浜で泳がないこと。

私は一生泳いできたけれど、10代の頃に波にさらわれて、顔を海底でこすって、どちらが上かも分からなくなったことがある。運よく、抵抗をやめて浮くことを知っていたから、わりとすぐ水面に出られた。母もおばたちも6メートル先にいたのに、私が危ない状態だとは気づかなかった。ライフガードも気づかなかった。ほんの一瞬で起きる。


この人と家族のことを思うと悲しい。フロリダに行く人はみんな、離岸流について最低限のことは知っておいたほうがいい。抵抗しないこと。できるだけ落ち着いて横に泳ぐこと。岸から400メートルくらい流される可能性は十分あると受け入れること。パニックにならないこと。離岸流でいちばん人を殺しているのは、逆らおうとして消耗しきること。頭を冷やしていれば切り抜けられる。逃げ場のない怪物みたいなものではない。


子どもが絡んだら、逃げ場のない怪物になるよ。


この方やお子さんたちを軽んじるつもりはまったくない。ただ、こういうことに備えておくのは大事だと言いたかった。うちの兄弟は7歳のときに離岸流から生還したけれど、うちはフロリダの地元民だ。自分が何を相手にしているのかを知っておくことが、とにかく大事なんだ。子どもにだって教えられる。


水辺の安全は重ねた備えの数で決まる

「泳げる」という自己評価が届かない場所がある

離岸流の速さは、泳力で解決できる範囲を超えています。

茨城県は、離岸流の速度が秒速約2メートルに達し、オリンピック選手レベルの泳者でも流されると説明しています。海上保安庁の教材も、泳ぎの上手な人でも溺れる恐れがあるとしています。

プールで泳げることと、流れと衣服と低水温とパニックの中で泳げることは、別の能力です。文部科学省の水泳指導の手引も、水の事故は海や川で着衣のまま起きることが多いと記しています。

泳力が危険を減らす場面はあります。足がつかなくなったときに落ち着いて浮ける人と、そうでない人の差は小さくありません。

一方で、泳力への自信が行き先の選択を変える場面もあります。監視員のいない海岸や遊泳禁止の区域へ入る判断は、自分は泳げるという前提の上で下されることがあります。危険は水の側にあり、泳力はそれを打ち消しません。


事故の瞬間の判断に賭ける設計には無理がある

水難の結果は、事故が起きる前にどれだけ備えを重ねたかで決まります。

海上保安庁は、溺れた人を助けるために水に入るのは危険であり、まず自分の安全を確保して道具を使って助けるよう案内しています。東栄町の事故は、この案内の正しさと難しさを同時に示しています。

目の前で子どもが溺れているとき、水に入らず道具を探すという判断を親に求めるのは、実行の難しい要求です。飛び込むのは、親として自然な反応です。

だとすれば、結果を左右するのは水辺に着く前の準備です。入る場所を監視員のいる海水浴場にするか、装備を着けるか、見張り役を決めるか、浮く物と通報の手段を持つか。判断を誤っても生き残れる時間を作るのが、これらの備えの役割です。

同じ発想は、死者の最多層だった釣りにも当てはまります。行き先を伝えておく、単独で流れの速い場所に立ち込まない、連絡手段を身につけておく。どれも同じ役割の備えです。

通報先は、海であれば118番、川や湖であれば119番です。海上保安庁は、笛や防水パックに入れた携帯電話を持っていくよう勧めています。

ライフジャケットは、こうした備えの最後に位置します。役割は、ほかの備えがすべて働かなかったときに、救助が届くまでの時間を稼ぐことです。着ていれば増水した川に入ってよくなるわけではなく、見張りの代わりにもなりません。効果を遊泳の場面で直接測った国内統計はまだなく、この装備への期待は、船の上での実績からの類推を含んでいます。


なぜ船の上では義務で、水辺では習慣にもならないのか

ライフジャケットの着用義務は、船の上にはあり、水辺にはありません。

2018年2月から、小型船舶では原則としてすべての乗船者に着用が義務づけられました。2022年2月からは、乗船者に着用させなかった船長に違反点数2点が付されます。制度として成立したのは、船長という責任主体と免許制度があったからです。

海岸や河川には、対応する免許も執行主体もいません。装備の義務はない一方で、遊泳禁止区域への立入りという場所の規制はある。この非対称が、制度化の実務的な壁になっています。

監視のインフラも縮小しています。日本観光振興協会の調査によると、海水浴場の開設は1993年の1379か所から2024年は969か所へ、約3割減りました。日焼けや酷暑の敬遠、レジャーの多様化、砂浜の消失などが理由に挙げられています。

学校の水泳指導も、泳法が中心です。文部科学省の水泳指導の手引(三訂版・2014年)は、着衣泳を「学校の諸条件が整えば」有意義だとするにとどめており、手引の安全を扱う章にライフジャケットの記述は見当たりません。同省自身、着衣泳が着衣で速く泳ぐことと理解されている場合があると書いています。

規制を強める側の筋は立ちます。子どもは自分で危険を判断できず、装備の効果を示すデータもある。船からの転落者では、着用者の死亡率が11%、非着用者が52%でした(海上保安庁「令和2年海難の現況と対策」)。ただしこれは船からの落水者のデータで、遊泳者のものではありません。

一律の規制に慎重な側の筋も、同じくらい実務的です。自然水域は境界が曖昧で、誰が着用を確認するのかという問題が残ります。監視員のいる海水浴場そのものが減り続けており、遊泳中の着用効果を直接示す国内統計も見当たりません。

泳ぐ、釣る、舟に乗るでは、必要な装備の性能も違います。合わない装備は「着けているから安全」という新しい過信を生みかねません。装備の義務化より、禁止区域の表示や監視のある場所の整備を優先する方が効くという考え方も、この側の筋として立ちます。

制度が動かない一方で、行政の推奨は動いています。警察庁の呼びかけは、2025年6月時点の「釣りやボート等」から、同年9月には「釣りや水遊び等」「大人も子供も」へ広がりました。

法制化を待たずに増やせる備えもあります。香川県教育委員会はライフジャケットの無料貸出を設けていますが、対象は県内の学校や団体で、家族連れの個人が週末に借りる設計にはなっていません。売り場や水辺での表示、学校での扱い、家庭の習慣として先に広げるという選択肢もあります。


水辺ではライフジャケット、という習慣へ

水辺へ行く前に覚えておきたい五つ

1. 子どもも大人も、体に合ったライフジャケットを着る

2. 川では現在地だけでなく上流の天気を確認し、増水のおそれがあれば入らない

3. 泳ぐのは監視員のいる海水浴場で。遊泳禁止区域とヘッドランド周辺には入らない

4. 沖へ流されたら流れに逆らわない。泳げるなら岸と平行に流れの外へ、難しければ浮いて呼吸を確保し救助を待つ

5. 人が流されても水には入らず、浮く物を投げて通報する(海は118番、川は119番)

水難は、危険の自覚がないまま数十秒で状況が変わる形で起きます。2026年8月の事故には、水深1メートルや波の高さ30センチという見た目の穏やかさが危険を隠した場面と、遊泳禁止や注意報という情報がありながら行動に結びつかなかった場面の両方がありました。共通するのは、その場の感覚に判断が委ねられていたことです。

夏の水辺には、そこでしか得られない時間があります。その時間を手放さずに事故だけを減らすための道具が、情報・装備・監視・手順という事前の備えです。いまはその役割の多くが、泳力と現場の勇気に預けられたままになっています。

国土交通省のサイトは、河川財団の表現を引く形で、ライフジャケットを「川のシートベルト」と呼んでいます。自動車に乗ることをやめるのではなく、ベルトを締める習慣が被害を減らしてきた。水辺の装備も、同じ位置に置ける道具です。

一律の義務化の是非は、これから議論される領域です。家庭の備えは、その結論を待たずに始められます。次に水辺へ行くとき、家族の人数分の浮力を先に用意しておく。それが、個人の側から先に増やせる備えです。

以下は、適応体重や浮力の数値が公開されている定番品です。体に合ったサイズを選ぶことが前提で、着用が監視や場所選びの代わりにならないことは本文のとおりです。

それではまた、次回の記事でお会いしましょう。


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関連書籍紹介

『子ども版 これで死ぬ 外遊びで子どもが危険にあわないための安全の話』

大武美緒子文/羽根田治・藤原尚雄・松本貴行・山中龍宏監修(山と溪谷社/2024年07月刊)

登山や水辺の事故を追ってきたノンフィクション作家と、小児科医として長く事故予防に取り組んできた研究者らが監修した、子ども向けの安全解説書です。川・海・山・公園で実際に起きた28の事故事例を取り上げ、なぜそれが起きたのか、どうすれば防げたのかを、事例ごとに整理しています。

今回の記事で扱った、見た目の穏やかさと実際の危険がずれるという性質は、事例の形で読むといちばん腑に落ちます。子ども自身に読ませられる形になっているので、水辺へ出かける前に家族で目を通しておく一冊として向きます。


『最新版 ういてまて 水難学会指定指導法準拠テキスト』

斎藤秀俊著(新潟日報メディアネット/2022年06月刊)

水難学会の会長を務める著者による、着衣のまま仰向けで浮いて救助を待つ「ういてまて」の指導法テキストです。命を守る着衣泳シリーズの4冊目で、体育教員や救助にあたる人が指導の根拠として使えるよう、手順と理屈を分けて書かれています。

今回の記事で扱った、泳いで岸へ戻ろうとすると消耗するという論点は、この本が扱う「浮いて待つ」技術の裏側にあたります。学校の水泳指導でどこまで安全側の内容を扱えるのかを考えたい方、指導する立場の方に向きます。


参考リンク

令和7年夏期における水難の概況|警察庁

令和6年における水難の概況等|警察庁

離岸流とヘッドランドの解説|海上保安庁 鹿島海上保安署

溺れた人を見たときの対処法|海上保安庁 ウォーターセーフティガイド

水の危険は近くにあります、みんなで危険回避!|こども家庭庁

水泳指導の手引(三訂版)第4章 水泳指導と安全|文部科学省

遊泳中に3人溺れ 女性1人死亡 ヘッドランド近くの海岸 茨城・鉾田|茨城新聞クロスアイ

溺れかけた小学生の息子を助けようと…40歳父親が溺れ死亡 家族3人で川遊びに|東海テレビNEWS

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