人類は広島から何を学んだのか 原爆投下から81年、核兵器が再び増え始めた世界【海外の反応・解説】

広島の被爆81年式典に過去最多121か国が参列。世界の核弾頭はなお1万2000発、軍縮の枠組みは空白期に。核を手放した国と持ち続けた国の明暗から、核抑止の実相を海外の反応とともに読み解く。

今回の記事の重要ポイント(三点)

・広島市は2026年8月6日、被爆81年の平和記念式典を開き、過去最多となる国・地域の代表が参列するなか、高市首相は非核三原則の堅持を明言した。

・世界の核弾頭はなお約1万2000発にのぼり、米露の新START条約の失効とNPT再検討会議の決裂により、核軍縮を支えてきた制度は空白期に入った。

・核を手放したウクライナやリビアと、持ち続けた北朝鮮の対照が「核こそ最終的な保険」という認識を広げており、核抑止が機能してきた実績は今後も失敗しない保証にならない。


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被爆81年の式典に121か国・地域が参列

広島市は2026年8月6日、平和記念公園で「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」を開いた。被爆から81年となる今年の式典には、過去最多となる121か国・地域の代表が参列した。ロシアは5年連続で参列していない。

松井一實市長は平和宣言で、「多くの為政者は現実的な対応として核抑止力に依存し続け」ており、核兵器のない世界は「遠のくばかり」だと述べた。2026年のNPT再検討会議が過去2回に続いて成果文書を採択できなかったことに触れ、「第3のヒロシマ・ナガサキ」を招きかねないと警告した。

松井市長は日本政府に対し、今年11月から開かれる核兵器禁止条約(TPNW)の再検討会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国になるよう求めた。被爆者の平均年齢が86歳を超えたことにも言及し、支援の充実を要請した。

あいさつに立った高市早苗首相は、非核三原則を堅持すると明言した。そのうえで、核軍縮の取り組みはNPT体制の維持・強化を通じて進めるとし、「ヒロシマ・アクション・プラン」に沿って現実的な歩みを重ねる考えを示した。厚生労働省によると、被爆者健康手帳の所持者は2026年3月末時点で9万1105人、平均年齢は86.66歳となっている。


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広島に落ちた1発と、81年後に残る1万2000発

1945年8月6日に広島で起きたこと

その日の被害は、当時の通常兵器の延長線上では捉えられない規模のものでした。1945年8月6日午前8時15分、米軍が投下した原子爆弾「リトルボーイ」は、広島市の上空、地上約600mで炸裂しました。8月6日に広島にいた人は、軍人や動員された人を含めて約35万人と推計されています。

1945年末までの死者は約14万人と推計されていますが、広島市は正確な数は今も分かっていないと公式に記しています。混乱のなかで死亡届が出されないまま亡くなった人や、一家全滅で記録が残らなかった人が多数いるためです。

爆心地周辺の地表面温度は3000〜4000度に達したとされます。爆風と熱線と火災が同時に街を襲い、市街地は一度の投下でほぼ機能を失いました。

被爆したのは日本人だけではありません。朝鮮半島や台湾から来ていた人、東南アジアからの留学生、ドイツ人神父、日系米国人、そして米兵捕虜も広島にいました。加えて、爆風や熱線を生き延びた人にも放射線による後障害が長く残った点が、通常兵器の被害と決定的に異なります。


なぜ広島が目標に選ばれたのか

広島が目標になった理由は、軍事上の性格と、都市そのものを壊す使い方の両方から説明されてきました。広島には陸軍の第二総軍司令部が置かれ、大陸へ兵員や物資を送り出す兵站の拠点でもありました。軍事目標としての説明は、この点に依拠しています。

一方で、実際に破壊されたのは司令部や港湾だけではなく、市街地と、そこで暮らす住民を含む都市全体でした。動員された学徒や女性、子どもが街なかで被爆した事実は、軍事拠点への攻撃という説明だけでは説明しきれません。

さらに、それまで大規模な空襲を受けていない都市が候補として残されたという経緯も指摘されています。破壊されていない街のほうが、新型爆弾の威力を正確に測れるという理由です。軍都であったことと、都市と住民が一体として破壊されたこと。どちらか一方だけを取り出して事実のように語ると、この日の性格は見えにくくなります。


「原爆が戦争を終わらせた」をめぐる81年の議論

原爆投下が戦争の終結にどう作用したかは、81年たった今も決着していません。まず、この2週間ほどの出来事を時系列で並べておきます。

日付(1945年)出来事
7月26日ポツダム宣言
8月6日広島に原爆投下
8月8日ソ連が対日宣戦布告
8月9日ソ連が満州へ侵攻/長崎に原爆投下
8月15日日本がポツダム宣言受諾を表明

米国で長く共有されてきたのは、本土決戦を回避したという説明です。上陸作戦が行われていれば日米双方に甚大な犠牲が出ていたはずで、原爆はそれを避けたとする立場になります。日本側に降伏を決断させる衝撃として機能した、という理解です。

これに対し、ソ連の参戦を重く見る歴史研究があります。当時の日本はソ連を仲介役とした和平の可能性に望みをつないでおり、8月8日の宣戦布告と翌日の満州侵攻はその前提を崩しました。原爆投下だけでは日本の指導部の判断が動かなかった、とする見方です。

近年は、どちらか一方を単独の決定打とするのではなく、複数の衝撃が短期間に重なって戦争継続の構想が成り立たなくなった、という整理も広く用いられています。投下を正当化する側にも批判する側にも最良の論拠があり、この記事でどちらかを結論として置くことはしません。


81年後、核兵器は9か国に約1万2000発

被爆から81年が過ぎた現在も、世界には9つの国が核兵器を保有しています。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の2026年版年鑑によると、2026年1月時点の保有状況は次の通りです。

総保有数(発)
ロシア5420
米国5042
中国620
フランス370
英国225
インド190
パキスタン170
イスラエル90
北朝鮮60
世界合計1万2187

(2026年1月時点。退役して解体待ちの弾頭を含む総保有数。出典:SIPRI Yearbook 2026)

総数は今も減り続けていますが、SIPRIはその内訳に注意を促しています。減少分の主因は米国とロシアが退役した弾頭を解体していることであり、実際に使える状態の弾頭が減っているわけではありません。解体のペースが鈍っているため、総数は近く増加に転じる可能性があるとSIPRIは指摘しています。

これらを規律してきた枠組みは2つあります。ひとつが1970年に発効した核拡散防止条約(NPT)で、締約国は191か国にのぼります。米国・ロシア・英国・フランス・中国の5か国にのみ核兵器の保有を認め、それ以外の国への拡散を防ぐと同時に、5か国には核軍縮交渉の義務を課す構成です。

もうひとつが2017年に採択され、2021年に発効した核兵器禁止条約(TPNW)です。開発・保有・使用・使用の威嚇までを包括的に禁じますが、核保有国はいずれも参加しておらず、日本も締約国になっていません。

核抑止とは、報復の能力を示すことで相手に攻撃を思いとどまらせる考え方です。米国が同盟国への攻撃にも核を含む報復の可能性を示す仕組みは拡大抑止と呼ばれ、守られる側から見た通称が「核の傘」です。日本は自国では核を持たないまま、この傘に安全保障の一部を委ねてきました。


海外の反応

今回参照するのは、米国の掲示板コミュニティRedditの2つのスレッドです。

ひとつは質問板r/NoStupidQuestionsに立てられた「米国の外では、原爆投下はどう見られているのか」。もうひとつは討論板r/changemyviewの「どの国も核兵器を持つべきではない」で、こちらは現代の核抑止と廃絶をめぐる応酬です。

以下は世論調査ではなく、英語圏の特定のスレッドで交わされた議論の抜粋です。主スレッドでは「本土決戦を避けるための必要悪だった」とする正当化論が大勢を占め、投下を正面から批判するコメントは少数にとどまります。

掲示板は投稿への反論が集まりやすい構造のため、コメントの比率を世論の賛否とみなすことはできません。

以下はスレッド内のユーザーコメントの抜粋・翻訳です。


倫理的に見れば、東京大空襲のほうが原爆投下より悪質だったと言えるかもしれない。


まさにその通り。ミーティングハウス作戦は、当時まだ木造だった東京を焼き尽くすためにわざわざナパームを使った。結果として、即死者の数は原爆二発の爆発による死者を上回っている。


ドイツで同じことをしなかったわけでもない。ハンブルクやドレスデンでは、路上に積み上がった遺体や、地下室で熱にやられた遺体の写真が今でも見られる。本当にひどいものだ。ただ、民間人の居住区を最初に爆撃したのはヒトラーのほうで、イギリスにはV2ロケットを撃ち込んでいた。戦争がそこまで激化していったという背景はある。


このテーマについては本も何冊も出ていて、どれも興味深い。読んで分かる範囲で言えば、1945年の世界はもう戦うことにうんざりしていた。

日本は降伏する気配がなく、ヨーロッパは戦い終えていて、残っていたのは米国とソ連と日本だけだった。1945年の時点では、戦争が終わりさえすれば手段は誰も気にしていなかった。


角度によってはその通りだと思う。ただ、日本はすでに実質的に負けていて、降伏は時間の問題だったという見方もある。列島は封鎖され、補給もまともに回らなくなっていた。

同時に当時はソ連の脅威が浮上していて、原爆投下には「誰がボスなのか」をソ連に見せる意図もあったという指摘がある。興味深いのは、一発落とされた後も日本側が無条件降伏を拒み続けたことだ。


この見方の問題は「時間」だ。たしかに日本は飢えていたし、海上封鎖を続ければいずれ降伏しただろう。だがその間もアジア全域では毎月、途方もない数の民間人が死に続けていた。戦争が終わらない限りそれは止まらない。

封鎖でも決着はついただろうが、いったい何人の命と引き換えにするのか。本土侵攻でも決着はついただろうが、やはり何人の民間人が死ぬのか。結果として、原爆投下は他のどの選択肢よりも失われる命が少なかった。


本土侵攻の想定コストは馬鹿げた水準だった。米国は日本本土への上陸作戦に備えてパープルハート章(戦闘による死傷者に贈られる米軍の勲章)を大量に製造し、その在庫は第二次湾岸戦争の直前まで使い切れなかった。

つまり、本土上陸のために用意した「敵の攻撃による死傷者」用の勲章だけで、朝鮮戦争もベトナムも湾岸戦争も、その間の小規模な作戦もすべて賄えてしまった。


民間人への攻撃を現代の物差しで見るなら、答えは「否」だ。理解しにくいのは、第二次大戦中は民間人の目標がまったく違う扱いを受けていたということ。ロンドン空襲からドレスデン、東京大空襲、そして原爆まで一続きだった。

沖縄でどれだけの民間人が命を落としたかを踏まえれば、より小さい悪ではあったと思う。それでも、この兵器の存在をソ連に見せるという政治的側面があったことは否定できない。


原爆は焼夷弾爆撃を極限まで強化したものだ。要するに、空から無辜の民間人を爆撃することは、それが焼夷弾でも原爆でも道徳的に忌まわしい。原爆がより悪いのは規模の問題であり、長期の放射線被害の問題であって、道義の計算そのものが大きく変わるわけではないと思う。


私は「原爆がなければ日本は最後の一人まで戦っていた」という見方と、「米国は生きた都市で実験する機会を見つけて飛びついた」という見方の間で揺れている。


私は米国人ではない。沖縄に9年住んでいる。沖縄戦は第二次大戦でもっとも過酷な戦いだった。日本軍はここを本土防衛の第一線と位置づけ、持てる資源をすべて防衛に注ぎ込んだ。戦闘後の写真を見れば、何も残っていない、ただの荒れ地だ。

そこから本土へ延々と消耗戦を続ける気力は誰にもなかった。沖縄での激しい抵抗が、結果的に原爆投下を招き寄せた面があるのかもしれない。言うのは辛いが、私はあれが正しい判断であり、長い目で見れば命を救ったと考えている。


デンマークから。80年前は現実も、生き方の感覚も、道徳や倫理も今とは違っていた。原爆の影響も本当のところは分かっていなかった。東京はすでに通常爆弾で平らにされていた。世界は5年間燃え続けていた。終わらせるしかなかった。あれが終わらせた。ただ、これ以上は落とさないでほしい。


あの日は日本の軍事植民地支配から朝鮮を解放した日でもあるので、韓国にとって終戦は祝う日だ。一方で日本では、原爆の犠牲者を追悼する厳粛な反省の日になっている。

そして二発の原爆では、多くの朝鮮人も亡くなっている。強制労働に就かされていた人たちだ。同じ日付が、一方では解放の記念日で、他方では追悼の日になっている。


ここからは、現代の核兵器そのものの是非を議論した討論板のスレッドです。「どの国も核兵器を持つべきではない」という投稿者の主張に、反論が集中しています。

ほとんど自分で気づいているようだが、問題は「誰が許可するのか」だ。核保有国は同時に世界の経済大国でもある。非核保有国にはそんな条約を強制する梃子がなく、核保有国のほうは当然ながら署名しない。核拡散を巻き戻すのがそんなに簡単なら、とっくにやっている。


核兵器は経済学入門に出てくる典型的な囚人のジレンマだ。米国とロシアだけが存在すると仮定すると、選択肢は三つになる。

第一に、両国が核を放棄する。抑止力は失われるが、核による破滅の恐れも消える。第二に、片方だけが放棄する。残ったほうは好きなように核を使え、相手には現実的な対抗手段がない。第三に、どちらも放棄しない。抑止は保たれるが、核戦争の危険も残り続ける。

第二の結果が自分にとって最悪なので、両国とも核を持ち続ける選択に流れていく。


核を持つ国は、侵略されて刃にかけられることがなくなる。だからどの国も欲しがるし、誰も自分から先に手放そうとはしない。

ウクライナはソ連崩壊時に手元の核の発射コードを持っておらず、書類上の核保有国でしかなかったので、米国とロシアの「侵攻しない」という約束と引き換えに手放した。結果はご覧のとおりだ。ロシアは世界に対して、たとえ使えない核であっても絶対に手放すなと教えてしまった。


あなたの国を守っているのは核兵器だ。第二次大戦を止めたのは原爆だった。空母でも兵士でも政治家でもなく、米国が日本に、負けたと悟るほど大きな爆弾を落としたときに終わった。核兵器が実戦で使われたのは一度きりで、それが我々の知る形の世界大戦を終わらせた。


「純粋に核のおかげ」と言い切るのは少し単純すぎると思う。侵攻の脅威も、日本政府が実質的にもう負けていると分かっていたことも効いている。ただ、核が奪った以上の命を救ってきた可能性が高いという趣旨には同意する。


私は同意しない。抑止の恩恵は、もたらされうる破滅的な被害に見合っていない。しかもそれは事故でも起こりうる。誤情報をもとに大規模な報復に踏み切りかけた事例は何度もあった。

抑止と相互確証破壊は大規模な紛争の総数を減らしたかもしれないが、その代わりに、人類が想像しきれない規模の全球的な壊滅という現実的な可能性を持ち込んだ。


核を手放した国と持ち続けた国、81年後の分かれ道

「核は最終的な保険」という認識はどう広がったのか

広島と長崎の惨禍は、核使用への強い規範的な制約、いわゆる「核のタブー」を形づくった要因の一つとされています。しかしそのタブーは、核兵器を「持たない」という選択を広げる力にはなっていません。この数年、核を手放した国と持ち続けた国の明暗が、多くの国の目に焼き付く形で並んだためです。

ウクライナはソ連崩壊時、世界第3位に相当する約1900発の戦略核弾頭を領内に抱えていました。1994年のブダペスト覚書で米英露から安全の保障を受ける形で放棄しましたが、2022年、その保障国であるロシアに侵攻されました。

ゼレンスキー大統領は侵攻の5日前、核放棄と引き換えの保障が機能していないと国際会議の場で訴えています。

厳密に言えば、当時のウクライナに核の発射権限はなく、覚書に法的拘束力もありませんでした。2003年に核計画を放棄したリビアも、カダフィ政権の崩壊はその8年後で、放棄が直接の原因とは言い切れません。「核を手放したから攻められた」は、事実関係としては単純化しすぎた命題です。

それでも、この単純化された物語は強力に働きます。北朝鮮は「リビアのような悲惨な運命はたどらない」と繰り返して核開発を続け、2026年の党大会では核保有国の地位を「不可逆かつ恒久」と宣言しました。放棄と崩壊の間に8年の開きがあったという事実は、認識の前ではほとんど力を持ちません。

そして2026年、核開発を疑われてウラン濃縮を進めてきたイランは、前年の核施設攻撃に続き、米国とイスラエルの攻撃で最高指導者ハメネイ師を殺害されました。韓国は今月、北朝鮮政策で非核化を最優先に置く従来方針を取り下げたと報じられています。「持てば守られ、手放せば危うい」という認識は、もはや北朝鮮だけのものではなくなりつつあります。


核抑止は何を防ぎ、何を防げなかったのか

核抑止をめぐる賛否は、同じ観察事実の解釈の違いとして整理できます。1945年以降、核保有大国同士の全面戦争は起きていません。ただし、その理由を核だけに帰せるかどうか自体が、解釈の分かれ目になっています。通常戦力や同盟、経済の相互依存も同時に働いてきたためです。

抑止論はこれを、相互確証破壊が機能した証拠と読みます。互いを確実に破壊できる核戦力を持ち合えば、どちらも先に手を出せない。冷戦期の米ソが朝鮮半島やベトナムで対立しながら直接の全面戦争を避けたのは、この均衡のおかげだという解釈です。

廃絶論は同じ事実を、幸運の積み重ねと読みます。キューバ危機や冷戦期の誤警報では、現場にいた個人の判断で核攻撃が回避された例が複数知られています。抑止が機能したのではなく、抑止が破綻しかけた局面を人間の判断と偶然が救ってきた、という解釈です。

一方、核抑止が防げなかったものは観察できます。代理戦争は防げず、核保有国同士でもインドとパキスタンのような限定衝突は起きています。ロシアのウクライナ侵攻では、核による威嚇がNATO諸国の直接介入を慎重にさせた要因の一つとみられており、2024年の核ドクトリン改定や2026年5月の大規模核演習のように、威嚇は常態化しています。

核抑止は、失敗するまでは機能し続けたように見える仕組みです。そして最初の失敗が、都市一つではなく文明の規模の被害を意味します。「これまで機能してきた」という実績は、「これからも失敗しない」という保証にはなりません。


ドローンとAIの戦場で、核の役割は変わりつつある

ウクライナの戦場は、核兵器が戦争の勝敗を決める道具ではなくなりつつある現実も映しています。戦局を実際に動かしているのは、安価なドローンと、それを支える情報戦や電子戦です。

世界最大級の核戦力を持つロシアは、その核を戦場の優位に換算できないまま、ドローンと砲弾の消耗戦で苦戦を重ねてきました。核は侵攻の入口で相手の介入をためらわせる傘にはなっても、戦争に勝たせてくれる武器ではない。この非対称は、「核を持てば安全」という前提の一部を掘り崩しています。

一方で、新しい技術は核の危険を減らす方向にだけ働くわけではありません。AIを組み込んだ早期警戒や標的選定は判断の時間を縮め、極超音速兵器やミサイル防衛と組み合わさると、「先に撃たなければ無力化される」という圧力を強めます。誤情報に基づく発射判断の危険は、冷戦期の誤警報と地続きです。

つまり技術の変化は、核兵器の軍事的な出番を減らしながら、事故と誤算の危険を増やすという、二つの方向に同時に働いています。核を「使わない兵器」のまま縛っておけるかどうかは、この新しい環境でこそ問われることになります。


「核の傘」の下の日本が抱える二つの責任

日本の立場は、単純な自己矛盾というより、核廃絶という長期目標と当面の安全保障という二つの責任の併存として見る方が実態に近いはずです。今年の式典では、その二つがはっきりと交差しました。市長が核兵器禁止条約への参加を求め、首相が非核三原則の堅持とNPT体制の強化を語る。同じ広場に、廃絶を求める声と核の傘を前提にした現実論が並びました。

政府側の判断には現実の裏付けがあります。中国は核戦力の拡大を続け、北朝鮮は核保有を「不可逆」と宣言し、ロシアは核威嚇を常態化させています。この環境で米国の拡大抑止を手放せば安全保障が成り立たない、禁止条約への参加は核抑止の正当性を損なう誤ったメッセージになる、というのが政府の一貫した説明です。

他方で、締約国にならないまでもオブザーバー参加すらしないことへの説明は、年々難しくなっています。2024年に日本被団協がノーベル平和賞を受賞し、被爆者の証言が核のタブーを支えてきたことが国際的に評価されたばかりでもあります。

今年7月には小泉防衛相が「あらゆるタブーなく議論しなければ、どの国も一国で安全保障を確立することはできない」と核をめぐる議論に言及し、被爆者団体など32団体が抗議声明を出しました。核の傘への依存を深める流れと、被爆国としての発言力の間の緊張は強まっています。

この問題は「参加か、裏切りか」の二択ではありません。核の傘の下にあるドイツやノルウェーは、締約国にならないままオブザーバーとして締約国会議に出席した実績があります。日本が同じ道を選ぶかどうかは、核抑止を捨てるかどうかではなく、被爆国としての発言力をどの場で使うかという選択の問題です。


軍備管理の空白と、二択ではない選択肢

2026年は、核軍縮を支えてきた制度が相次いで欠けた年として記録される可能性があります。廃絶か現状維持かという二択の手前に、埋めるべき空白が広がっています。

2月に米露の新START条約(新戦略兵器削減条約)が失効し、後継はありません。両国の配備戦略核を制限する法的枠組みが消えただけでなく、相互査察に基づく公式データの公表も止まりました。5月まで開かれたNPT再検討会議は、3回連続で成果文書を採択できずに終わっています。

次の枠組みは、米露の二国間では完結しません。米国は中国を加えた枠組みを求めますが、中国は保有数の差が大きいまま同じ削減枠に入ることに慎重で、ロシアはウクライナ戦争と核交渉を切り離しません。三者の前提がかみ合わず、交渉の土台自体が組めない状態です。

それでも、完全廃絶と現状維持の間には現実的な選択肢が残っています。ロシアが表明した配備数上限の自主的な維持を相互の申し合わせに変えること、危機時の連絡網の再構築、警戒態勢の引き下げ、核の発射判断にAIを関与させないという合意。いずれも、核抑止を維持する立場から見ても、事故と誤算のリスクを減らす利益があります。


「使えない兵器」のまま終わらせられるか

81年後の広島が問いかけるもの

広島と長崎は、戦争で核兵器が使われた人類史上ただ二つの事例です。核実験による被曝はマーシャル諸島や旧ソ連のセミパラチンスクなど各地に及びますが、都市の上で核が炸裂したとき何が起きるかを人類が知っているのは、この二つの街の経験を通じてだけです。

その経験が形づくった「核のタブー」は、81年間の不使用を支えてきた力の一部と考えられています。しかし、保有をやめさせる力にはなりませんでした。核による安全を求める各国の判断は、一つひとつは合理的に見えます。その合計が、約1万2000発の弾頭と軍備管理の空白が並ぶ現在の世界です。

核兵器による安全を求めながら、その核兵器に滅ぼされる危険を受け入れ続ける。この均衡をこのまま維持するのか、それとも危険を一段ずつ下げる道を探すのか。被爆者の平均年齢が86歳を超え、実相を語れる人が減っていくなかで、この問いは記憶の継承と同じ重さで残されています。

それではまた、次回の記事でお会いしましょう。


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関連書籍紹介

『「核抑止論」の虚構』

豊下楢彦(集英社新書/2025年07月刊)

核抑止という考え方そのものを、歴史的な経緯と論理の両面から検証した一冊です。核兵器が戦争を防いできたとされる根拠を丁寧に洗い直し、抑止が機能してきたという実感がどこまで裏付けを持つのかを問い直しています。

今回の記事で扱った「核抑止は失敗するまで機能して見える仕組みであり、これまでの実績が今後の保証にはならない」という論点と直接つながる内容で、核抑止を当然の前提として受け止めてきた読者ほど、立ち止まって考える材料になる本です。


『誰が日本を降伏させたか 原爆投下、ソ連参戦、そして聖断』

千々和泰明(PHP新書/2025年07月刊)

太平洋戦争が終わった決め手は原爆だったのか、それともソ連の対日参戦だったのか。長年決着のつかないこの論争を、公開されている史料をもとに丁寧に再検証し、複数の要因がどう重なって日本の降伏に至ったのかを整理しています。

今回の記事の補足説明で扱った「原爆が戦争を終わらせたか」をめぐる81年の議論を、本土決戦回避論・ソ連参戦重視論の双方の立場からさらに深く知りたい読者に向く一冊です。


参考リンク

平和宣言全文(2026年)|中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ|首相官邸

原爆被害の概要|広島市

Increasing focus on nuclear weapons amid heightened escalation risks|SIPRI

New START Expires As U.S. Urges ‘Modernized’ Treaty|Arms Control Association

Ukraine, Nuclear Weapons, and Security Assurances at a Glance|Arms Control Association

米・イスラエルによるイラン攻撃と中東情勢(戦略コメント)|日本国際問題研究所

小泉防衛相 核めぐり“タブーなく議論を”|NHK

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