今回の記事の重要ポイント(三点)
・ロシアのプーチン大統領は2026年8月13日に択捉島を訪れて水産加工場や病院を視察し、日本政府は北方四島が歴史的にも国際法上もわが国固有の領土だとして強く抗議した。
・1956年の日ソ共同宣言が示した歯舞群島と色丹島の引き渡しには平和条約の締結という条件が付いており、日米同盟の存在を引き渡しの障害とみなす論理はソ連の覚書以来くり返されてきた。
・今回の訪問は軍事力の誇示ではなく行政の日常を見せる形をとっており、北方領土が交渉のカードとして扱われる時代の終わりを印象づける演出として読める。
プーチン氏が択捉島を初訪問 直前には太平洋艦隊の大規模演習を視察
ロシア大統領府は2026年8月13日、プーチン大統領が択捉島(ロシア名イトゥルップ島)を訪問したと発表した。プーチン氏はサハリン州のリマレンコ知事の案内で水産加工場を視察し、イクラを試食した。病院と学校も訪れ、学校の近くでは住民に「まるでリゾート地だ」と語りかけた。国営テレビの映像によると、ロシア海軍のミサイル巡洋艦にも足を運んでいる。
知事が、1945年に占守島でソ連軍が日本軍を破った経緯を強調すると、プーチン氏は「そのことを忘れないでほしい」と応じた。知事との会談では「ロシアの人々とはそういうものだ。勝者の遺伝的コードを持っている」とも述べた。
2000年に大統領に就任したプーチン氏が北方領土に入るのは、2008年から2012年の首相時代を含めて今回が初めてである。ロシアの国家元首としては、2010年11月に国後島を訪れたメドベージェフ大統領(当時)以来2人目となる。
国営通信タスは今回を「クリール諸島への初の直接訪問」と伝えた。プーチン氏は2024年1月にクリール諸島について「必ず行く」と述べたと報じられており、訪問そのものは2年半前から予告されていた。
訪問は一連の行程の最後に置かれた。ロシア軍は8月4日から国境防衛に関する大規模演習を始めており、兵員1万3000人以上、艦艇約60隻、航空機約30機が日本海とオホーツク海、太平洋北西部に展開した。演習の範囲には北方領土と千島列島も含まれる。
プーチン氏は12日、ユジノサハリンスクでこの演習を視察した。サハリン州の訪問は約13年ぶりだった。この日の発言では、クリール諸島の帰属は第二次世界大戦の結果として国際文書で確定していると述べ、安倍晋三元首相の対露外交を評価したうえで「日本が立場を変えた」と指摘した。
茂木敏充外相はメッセージを発出し、「択捉島を含む北方四島は、歴史的にも国際法上も我が国固有の領土であり、日本国として今回の訪問について強く抗議します」と表明した。同日午後6時ごろにはノズドレフ駐日ロシア大使を外務省に呼び、直接抗議している。2021年のミシュスチン首相訪問時の召致は外務事務次官によるもので、対応のレベルは一段上がった。
高市早苗首相は会見で「日本国民の感情を傷つけるものであり、断じて許容できない」と述べ、今回の訪問は中長期的な関係回復を困難にしたと言わざるを得ないと批判した。首相によると、日本政府は2024年1月にプーチン氏が訪問の意向を示して以来、訪問が行われないようロシア側に累次申し入れてきたという。首相に訪問の連絡があったのは当日の午後だった。
関連記事
国境線が引かれた経緯と、交渉が近づいた二つの局面
四島は戦争で得た土地ではない
北方四島が日本領になった経緯は、戦争の戦利品ではなく条約で線を引いた結果です。この違いが、日本側の主張の出発点になっています。
最初の国境線は1855年の日魯通好条約で引かれました。択捉島と得撫島の間を国境と定め、択捉島以南を日本領、得撫島以北をロシア領としています。樺太については国境を決めず、両国民が混住する地としました。
1875年の樺太千島交換条約では、日本が樺太を放棄する代わりにロシアから千島列島を譲り受けます。このとき条約に列挙されたのは得撫島以北の18島で、歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島は含まれていません。四島は交換で新たに得た土地ではない、というのが日本政府の説明です。
線が動いたのは1945年でした。ソ連軍は終戦の3日後に占守島へ上陸し、そのまま南下しています。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1855年2月 | 日魯通好条約。択捉島と得撫島の間を国境と定める |
| 1875年 | 樺太千島交換条約。日本が得撫島以北の18島を得る |
| 1945年8月18日 | ソ連軍が占守島に上陸 |
| 1945年8月28日 | ソ連軍が択捉島を占領 |
| 1945年9月1日〜5日 | 国後島・色丹島・歯舞群島を占領 |
| 1947年〜1948年 | 島に残っていた日本人が強制退去させられる |
(内閣府北方対策本部の資料による)
終戦時、択捉島以南には1万7291人の日本人が暮らしていました。約半数は自力で島を離れ、残った人々は1947年から1948年にかけて強制的に退去させられています。
日本とロシア、それぞれの法的な言い分
領有権をめぐる主張は、どちらの側にも法的な筋道があります。話がかみ合わないのは、根拠として持ち出す文書が最初から別のものだからです。
日本政府の立場は、1951年のサンフランシスコ平和条約で放棄した「千島列島」に四島は含まれない、というものです。放棄した範囲は得撫島以北に限られ、四島は一度も他国の領土になったことのない固有の領土だと説明しています。加えて、ソ連はこの条約に署名していないため、条約上の権利を主張できないとしています。
ロシア側の主張の出発点は、1945年2月のヤルタ協定です。ソ連の対日参戦の見返りとして千島列島の引き渡しが米英ソ首脳間で約されており、四島の帰属は第二次世界大戦の結果として確定した、という組み立てになります。日本がサンフランシスコ平和条約で千島列島を放棄したこと自体も、根拠として引かれます。
これに対して日本政府は、日本はヤルタ協定の当事国ではなく、首脳間の合意に領土を移転させる法的な効果はないという立場をとっています。またサンフランシスコ平和条約は、日本が放棄した千島列島の帰属先をどの国とも定めていません。ソ連が得たとする根拠を条約の条文に求めることは難しい、というのが日本側の反論です。
つまり両者は、同じ国際法の土俵で正面からぶつかっているというより、参照する文書と土俵そのものが最初から別です。ロシア側の主張は法的というより「第二次世界大戦の結果」という政治的な組み立てに重心があり、日本側は条約の条文と交渉記録に重心を置いています。この土俵のずれ自体が、80年間かみ合わなかった理由の一つです。
二度近づいて、二度閉じた交渉
戦後の交渉は二度、決着に近づきました。一度目を止めたのは日米同盟、二度目を止めたのはウクライナ侵攻です。
一度目は1956年の日ソ共同宣言です。ソ連は歯舞群島と色丹島について、平和条約を結んだ後に引き渡すことに同意しました。ところが1960年、日米安保条約の改定に反発したソ連は、日本領土からのすべての外国軍隊の撤退という新しい条件を覚書で積み増します。2島の引き渡し合意は、この時点で事実上棚上げされました。
二度目は冷戦後です。ソ連崩壊を挟んでロシアは領土問題の存在を認め、1993年の東京宣言で四島の帰属問題を解決して平和条約を結ぶ枠組みが確認されました。2018年には安倍晋三首相とプーチン大統領が、1956年宣言を基礎に交渉を加速することで合意します。四島一括から歯舞・色丹の2島を軸とする形へ、現実的な妥協点を探る段階まで進んでいました。
その二度目も閉じました。2020年のロシア憲法改正で領土の割譲を目的とする活動が禁じられ(国境画定は例外)、2022年のウクライナ侵攻後にはロシアが平和条約交渉の継続自体を拒否します。80年の交渉の主な節目は次の通りです。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1956年10月 | 日ソ共同宣言。歯舞群島・色丹島の引き渡しに同意(平和条約締結後) |
| 1960年1月 | ソ連が覚書で全外国軍隊の撤退を条件として提示 |
| 1993年10月 | 東京宣言。四島の帰属問題の解決と平和条約の早期締結で合意 |
| 2018年11月 | シンガポール会談。1956年宣言を基礎に交渉を加速することで合意 |
| 2020年7月 | ロシア憲法改正。領土の割譲を目的とする活動を禁止 |
| 2022年3月 | ロシアが平和条約交渉の継続を拒否、四島交流事業を停止 |
(内閣官房領土・主権対策企画調整室の資料による)
要人の訪問は、交渉が細るのと並行して重ねられてきました。2021年7月にはミシュスチン首相が択捉島を訪れ、病院と水産加工施設を視察したうえで、四島に外国投資を呼び込む関税免除の特別区構想を示しました。このときは外務事務次官が駐日ロシア大使を呼んで抗議しています。
海外の反応
今回参照するのは、米国の掲示板コミュニティRedditの3つのスレッドです。中心はニュース速報板r/worldnewsのスレッドで、プーチン氏への冷笑に交じって、「戦争に負けて取られた領土だ」という突き放した見方と、それへの反論が正面からぶつかっています。あわせて国際政治の議論板r/geopoliticsと、反米・反NATOの立場を掲げるコミュニティのスレッドからも拾い、日本国内の報道とは別の角度からこの問題がどう見えているかを並べます。
以下はスレッド内のユーザーコメントの抜粋・翻訳です。
これって、第二次世界大戦がまだ技術的には終わっていないってこと?
実質そうだよ。朝鮮戦争が永久停戦のまま続いているのと同じ形だね。
どちらかと言えば、1904年の日露戦争の方に近いけどな。
大した係争には見えないけどね。第二次世界大戦に参戦して、勝者に領土を取られた。それだけの話だろう。
ソ連が島を取ったのは、日本が最初の原爆を落とされた後で、2発目が落ちる直前だ。それが重要かどうかは人によるのかもしれない。ただ、直前まで戦ってもいなかった相手から、降伏の間際に領土をかすめ取っていく行為を「はっきりした話」だとは思わない人もいる。
スターリンはドイツ降伏の3か月後に参戦すると連合国側と合意していて、きっかり3か月で攻め込んだ。原爆は参戦とは関係ない。それに、ソ連の参戦は原爆と同じくらい、日本が降伏を受け入れる要因になったと思う。クリール諸島は正当に取られたものだ。
ソ連は約束を文字どおり守った、という話なんだよね。むしろ急いでいたのは米国の方で、ソ連がこの地域で影響力を広げる前に、一刻も早く戦争を終わらせようとしていた。
日本はナチスの側についたせいであの領土を失ったんだ。しかも枢軸側についたことへの謝罪を一度もしていない。そんな国が、なぜ何かを返してもらえると思うんだ。
その理屈で言うなら、ロシアも最初はナチスと組んでいたんだが。歴史の本を半分しか読んでいないのか?
(補足:1939年の独ソ不可侵条約と、それに伴う独ソによるポーランド分割を指しています)
狙いは何なんだろう。「今は弱って見えるだろうが、変な気を起こすなよ」と言いたいのか。それとも日本国内のウクライナ支援を増やしたいのか。
国内向けの威嚇だよ。「日本に勝ったのを覚えているか? ロシアは強いぞ」ってね。
日本は最近再軍備を進めているし、関係はずっと悪い。特にサハリンの石油・ガス事業から日本が締め出されてからはね。大きいのは、領土の割譲を違法にしたプーチンが、島の領有を固めて見せたことだと思う。
(補足:ロシアは2022年にサハリンの資源事業をロシア側の新会社へ再編しました。日本の商社はサハリン2への出資継続を認められており、「締め出された」は撤退した米欧企業を含む再編全体の受け止めとみられます)
まあ時間の問題だよ。数年もすれば、ロシアは請求書の支払いのために島を日本に売ることになる。シベリアを中国に売るのと同じ頃にね。
誰かが視察しているまさにその時に、島に爆弾が何発か落ちてきたら大変なことになるだろうなあ。
北朝鮮の実験ミサイルが逸れて飛んできたら、それこそ詩的というものだよ。
同じ記事を扱う国際政治の議論板では、日本の抗議そのものへの見方が割れていました。
これって、3か月前にロシアの石油を買っていたのと同じ日本だよね? 純粋な偽善だよ。
エネルギーと大気汚染の研究センターが出している月次分析を見なよ。ロシアのLNGとパイプラインガスの最大の買い手は、いまだにEUだ。それでも日本の偽善を責めるのか。
最後は、反米・反NATOの立場を掲げるコミュニティのスレッドです。日本の報道とは正反対の世界の見え方が並びます。
日本が台湾を訪問するのは「交流」。ロシアが歴史的にロシア・ソ連の一部だったクリール諸島を訪れると「嫌がらせ」扱いか。
はっきりさせておくと、私はプーチンやロシア政府のファンではない。かつてのソ連からはほど遠い、ただの資本主義国家だ。それでも少なくともプーチンは反西側・反NATOで、他の属国のように米国やEUの影響下にはいない。
第二次世界大戦で降伏したときに手放した領土を返してほしいなら、日本はまず降伏にまつわる取り決め一式を破棄すべきだ。片方だけ都合よく、というわけにはいかない。それより先に、日本の本土にある巨大な米軍基地をどうにかする方が先じゃないか。あれこそ国を属国化する支配の手段だろう。
日本が偏見を乗り越えて中国を全面的に受け入れれば、本当に侮れない存在になれるのにね。
交渉カードとしての北方領土は死んだのか
なぜこのタイミングだったのか
7月に生まれた小さな対話の芽に、ロシア側は8月、最も強い形で応えました。
2026年7月21日、フィリピンで開かれたASEAN関連の外相会議の際に、茂木外相とラブロフ外相が言葉を交わしています。2022年2月のウクライナ侵攻以降、両外相の対面での接触は初めてでした。茂木外相は7月24日の記者会見で、日本の対ロシア政策に変更はないと明言したうえで、ロシアは隣国であり懸案の解決のために意思疎通を続ける必要があると述べています。
その3週間後に大規模演習と大統領の択捉島訪問が並びました。交渉の入り口が開きかけた瞬間に、領土問題の値付けを先に示しておく動きです。
ただし、プーチン氏は2024年1月の時点で訪問を予告していました。大規模演習を含む行程が7月の短い接触を受けて組まれたという証拠はなく、以前からの既定路線がこの時期に実行され、結果として対話の芽と重なっただけの可能性も同じ重さで残ります。どちらが正しいかは、今後のロシア側の対日発信で判別していくことになります。
日本側の対話路線そのものは、漁業や航空路、抑留者や墓参といった実務の案件を動かす細い回線として意味を持ちます。危機の際に相手の意図を確かめる手段を失うコストも小さくありません。
一方で、制裁を続けながら外相同士が接触すれば、G7の結束という見え方は確実に削られます。ロシアが換金しているのは実利ではなく、この見え方のほうです。
実務の回線は開いていても、圧力の一枚岩という外形は崩れる。今回の訪問は、その崩れ方を可視化しました。
軍事力の誇示より強い「日常」の演出
行政の日常を見せることは、演習を見せるよりも強い主張になります。病院と学校と水産加工場は、ここが係争地ではなく普通のロシアの地方だという宣言に近いものです。
旗を立てて軍事施設を歩けば、そこが特別な場所だと認めることになります。イクラを試食し、住民に「まるでリゾート地だ」と語りかける映像は、それとは逆の意味を運びます。日常が積み重なっている場所からは、交渉という言葉が遠ざかっていきます。
国内向けの効果もあります。極東の果てまで足を運ぶ指導者の姿は、支持を固める素材として機能します。第二次世界大戦の勝者という物語と結びつけられる点でも、この島は使いやすい舞台です。
ただし、この積み重ねが領有の根拠を法的に強くするわけではありません。国際法の観点からは、紛争が発生した後の実効支配の強化は領有の権原を法的に補強しないという指摘があります。元朝日新聞モスクワ支局長の大野正美氏は、この点を返還運動の意義と結びつけて論じています。
つまり進んでいるのは法的な固定化ではなく、政治的な既成事実の積み上げです。この区別は、諦めの根拠にも希望の根拠にもなります。法的には動いていないという事実は残り、政治的には毎年重くなっていくという現実も同時に残ります。
呼び方の段階で認識は分かれています。タスは「クリール諸島」と書き、日本の報道は「北方領土」と書く。同じ島を指す言葉が最初から別であることが、この問題の距離を端的に示しています。
オホーツク海の壁と、渡せる島・渡せない島
四島のうち択捉と国後が特別扱いされる理由は、冷戦期からの軍の配置がそのまま示しています。オホーツク海はロシア太平洋艦隊の戦略原子力潜水艦が活動する海域で、千島列島はその外周を囲む壁として機能してきました。
米国防省は、自国に近い海域を陸海空の戦力で守り、その内側で戦略原潜を運用する考え方を「バスチオン(要塞)」と呼んでいます。ロシア太平洋艦隊はオホーツク海を中心にこの態勢を敷いているとされます。冷戦後に一度は縮小が検討された潜水艦基地を残す判断をしたのはプーチン政権であり、核戦力の維持という方針と直結しています。
この壁の中で、南の2島だけが特別に扱われてきた歴史があります。防衛研究所の報告書によれば、1970年代にソ連がオホーツク海へ弾道ミサイル搭載原潜を配備し始めると、カムチャツカ半島から千島列島に沿った線全体を守る必要が生まれました。
米海軍と海上自衛隊は当時、千島列島側からオホーツク海のソ連潜水艦を攻撃する事態を想定した演習を行っており、ソ連は米軍が島を前方の攻撃拠点として奪うのを防ぐため、国後島と択捉島に陸軍部隊を置きました。
千島列島の北側の島々には、同じ規模の部隊は置かれませんでした。この非対称は、四島のうち択捉・国後が壁の要であることを配置の形で示しています。一方、歯舞群島と色丹島は根室半島のすぐ沖にあり、この壁を構成していません。1956年にソ連が2島の引き渡しには同意できたことと、この配置の差は整合的です。渡しても壁は壊れない島と、渡せば壁が欠ける島、という見方ができます。
この位置づけは現在も続いています。ショイグ国防相は2016年、千島列島などを通過する航行路の確保を含む沿岸防衛の強化構想を示しました。
実際の配備も重ねられています。択捉島と国後島には着上陸防御を主な任務とする約3500人規模の師団が置かれ、2016年に地対艦ミサイル「バスチオン」と「バル」が択捉島・国後島でそれぞれ任務に就きました。2018年には択捉島の空港に戦闘機Su-35Sが、2020年には長射程の防空システムS-300V4が配備されています。地対艦ミサイルの展開はその後、松輪島や幌筵島など千島列島の北側へも広がりました。
66年前と同じ懸念、2018年より重い代償
ロシア側の懸念は66年前から一貫しています。1960年の覚書が示したとおり、対象は日本そのものではなく、返還後にそこへ何が置かれるかです。ロシアは米国のミサイル防衛の日本展開に繰り返し懸念を示してきたと報じられており、この構図はほとんど変わっていません。
2018年と現在では、その懸念の重さが違います。中国とロシアは2026年7月に合同演習を実施し、択捉島では中国機との共同パトロールも行われました。日本側も2022年末の安全保障関連3文書で反撃能力の保有を決め、防衛態勢の重心を南西方面へ移しています。返還された島に米軍が来るかという問いは、返還された島が日米同盟の設備の一部になるかという問いに置き換わりました。
ロシア自身の論理も動きを封じています。ウクライナの4州の併合を第二次世界大戦の結果と同じく不可逆なものとして扱う立場を取れば、四島だけを別の基準で処理する説明が難しくなります。2020年の憲法改正は、その説明の難しさを条文の形で固定しました。
ただし、この説明を揺らす事実もあります。防衛省の資料によると、2020年に配備されたS-300V4は2023年8月に両島から姿を消したと報じられています。ウクライナ方面への転用とみられ、「手放せないほど重要なら、なぜ防空を抜けたのか」という問いが成り立ちます。一方で、海峡を扼する地対艦ミサイルは抜かれておらず、優先順位を付けた上で壁の機能は守られているとも読めます。
この撤収が示すように、安全保障からの説明には有力な反論があります。東京大学の小泉悠氏は、軍事的な重要性があるから返還されないのではなく、返す気がないから軍事的な重要性をことさら強調しているのだと指摘しています。因果が逆だという読みです。
どちらの読みでも、現在の体制の下で北方領土を交渉カードとして使う意思が見えない、という現状の認識は変わりません。変わるのは、何があれば再び動くかという見立てです。安全保障が主因なら、オホーツク海の戦略的な価値が下がらない限り動きません。国内政治が主因なら、政権の性格が変われば動く余地が残ります。
抗議を続けることに意味はあるのか
抗議は状況を変えませんが、沈黙は相手の主張を補強する材料に使われます。この非対称が、外務省が毎回同じ文言を出し続ける理由です。
領有権をめぐる争いでは、一方の沈黙が黙認のしるしとして持ち出されることがあります。抗議を止めた途端に領有権が失われるわけではないものの、主張を維持し記録に残すことは、黙認と解される余地を狭めるための作業にあたります。効果が見えないことと、意味がないことは別です。
一方で、時間の制約は人の側にあります。元島民は2026年1月時点で4830人、平均年齢は90歳です。北方墓参は2019年を最後に途絶えており、2026年は洋上からの慰霊と、上空からの慰霊を初めて組み合わせる形で行われました。これは負担軽減の工夫であると同時に、島に降りられないまま世代が入れ替わっていく現実の記録でもあります。
返還の現実性には、もう一つの壁があります。島には既にロシア側から移り住んだ住民の生活があり、世代交代も進んでいます。仮に政治的な扉が開いたとしても、そこに住む人々をどうするかという問題が残ります。この論点は返還運動の側でも古くから意識されてきました。
固定化が不可逆だと決まったわけでもありません。ウクライナの戦争がどう終わり、その後の秩序がどう組み直されるかによって、交渉の入り口が再び開く可能性は残ります。ロシアの体制が変われば主張が変わるという見方には、ゴルバチョフ氏もエリツィン氏も返還しなかったという反証も付きます。それでも、可能性の幅がゼロになったとは言えません。
「いつ返るか」から「何を守り続けるか」へ
80年の問いの形が変わった
戦後80年の間に、日本側の問いは静かに形を変えてきました。いつ返ってくるのかという問いは、いつ交渉を再開できるのかという問いに置き換わり、その交渉自体が2022年から止まっています。
今回の訪問は、その現実に映像を与えました。イクラを試食し、島を「まるでリゾート地だ」と評する指導者の姿は、緊張を高める演出とは違う種類の圧力を持ちます。ここは争われている土地ではないという主張を、日常の形で見せる方法です。
それでも、動いていないものがあります。実効支配の年数だけで法的な立場が決まるわけではありません。1855年に引かれた線も、1956年に置かれた条件も、記録として残り続けます。抗議の文言が毎回ほとんど同じであることは、この記録を絶やさないための作業だと言えるでしょう。
守り続けるものと、取り戻すものは違います。取り戻す見込みが遠のいた局面で、記録と主張と人道的な交流をどこまで維持するのか。元島民の平均年齢が90歳を超えた今、この選択は時間との競争になっています。
返ってくるかどうかが分からない土地について、私たちは何を語り継ぐのか。答えの出ない問いを抱えたまま記録を残し続けることは、この問題が投げかけている作業の一つです。
それではまた、次回の記事でお会いしましょう。
▼記事が面白かったら応援クリックお願いします!▼
▲更新の励みになります!▲
関連書籍紹介
『現代ロシアの軍事戦略』
小泉悠著(筑摩書房/2021年5月刊)
ロシアの軍事政策を専門とする著者が、冷戦後に国力を落としたロシアがなぜ大国として振る舞い続けられるのかを、公表された軍事ドクトリンや部隊の実態から読み解いた新書です。核戦力の位置づけ、通常戦力との組み合わせ、いわゆるハイブリッド戦争をめぐる言説の検証まで、話題先行になりがちな論点を一次資料に寄せて整理しています。
今回の記事で扱ったオホーツク海の戦略原子力潜水艦と、その外周を囲む千島列島という構図は、この本が扱うロシアの核戦力運用の考え方に直接つながります。「軍事的に重要だから返さないのか、返さないから重要だと言うのか」という因果の問いを自分で検討したい方に向きます。
『ドキュメント 北方領土問題の内幕 クレムリン・東京・ワシントン』
若宮啓文著(筑摩書房/2016年8月刊)
朝日新聞で政治部長・主筆を務めた著者が、1956年の日ソ国交回復交渉を軸に、公開された外交文書や関係者の証言から日ソ・日露交渉の全体像を再構成したノンフィクションです。モスクワ、東京、ワシントンの三つの都市でそれぞれ何が動いていたのかを並行して追う構成になっています。
今回の記事で扱った1956年の日ソ共同宣言と、1960年にソ連が積み増した「全外国軍隊の撤退」という条件は、この本の中心的な主題そのものです。二島の引き渡し合意がなぜ棚上げされたのか、日米同盟がどこでどう関わったのかを、当時の交渉の内側から確かめたい方に向きます。
参考リンク
ロシアのプーチン大統領、北方領土を初訪問 択捉島の水産加工場を視察|時事ドットコム
プーチン・ロシア大統領による択捉島訪問についての会見|首相官邸
北方領土、ロシア領で確定 プーチン氏、日本が「立場変更」|時事ドットコム
北方領土問題に関する日本の対応(1956〜1998年)|内閣官房 領土・主権対策企画調整室
北方領土問題に関する日本の対応(2001〜2019年)|内閣官房 領土・主権対策企画調整室


